人は普通に生活していたら肩書きを持つ。持ってしまう。それは、所属する会社の役職だけではなく、どんな仕事をしているのか、どんな資格を持っているのか、どこに住んでいるのか、どこの学校を出たとか出身地、親の履歴まで自分を表すためのいろんな肩書きを持ってしまう。

 人を知ろうとするとき、そんな肩書きを知るとその人が見えてくる。だから、初めての人の前では簡単な自己紹介をする。

 しかし、そんな肩書きだけで人に上下をつけたがる人がいる。大学の偏差値、会社の規模、知名度、収入……。そして、他人の肩書きにやたら詳しい。「あの人の旦那さんは○○大学○○学部を出て、○○の部長さんで」という話し方ばかりする人が思いつくはずだ。「一流」が基準。その人は美人だろうか。たいてい美人志向が高いのに空回りしている。

 肩書きという客観値は目安にはなるのかもしれないが、それが全てではない。目の前にいるその人そのものを、しっかり見ることがもっと大事だ。目の前のものを大切にしないから、鏡に映った自分の本質に目を向けず、どう装飾するかという意識だけで見てしまう。

 しっかり人を見る。他人も自分も。それだけで「美人のもと」は増えていくはずだ。しっかり見ると、多くの肩書きが小さなパーツにすぎないことに気づく。「空回り」の原因は自分の本質よりも小さなパーツを重視してしまう点にある。

 資格獲得に命をかけているような人がいる。肩書きがたくさん欲しいのだろうか。もちろんいろんなチャレンジは自分を育てる。適度な資格獲得志向はいいことだ。しかし、あてもなく資格獲得に走るのはどうだろう。パーツを多く集めるより、本質を鍛える。パーツのひとつひとつを有効に自分に機能させるほうがいい。

 客観値だけではなく、自分の絶対値。それを見つめる癖を持つと他人の本質も見つけやすい。そこで生まれた関係は自分の絶対値に還ってくるはずだ。