愛する人を失ったり、信頼している人に裏切られるなどして、悲しみを感じるときがあります。その記憶に長く苦しめられることもあるでしょう。気づいて欲しいのは、悲しみを感じたときに受け入れるべきなのは、私たちの心の習性だという点です。悲しみを受け入れるとは、「執着と欲望が悲しんでいる原因だという事実を理解し、間違った認識に気づく」ことに他ならないのです。

悲しみの誤解をとく

 生きていれば誰もが、愛する人や大事なものを失うことがあります。その記憶に長いあいだ苦しむことも珍しいことではありません。

 中には、悲しみを忘れたくないという人もいるかもしれませんが、手放すことができたらと願っている人は多いはずです。

悲しみを快楽で紛らわせることはできません。なぜなら、快楽と苦痛は同じものだからです。

 たとえば、孤独感を埋めるためにペットを飼ったとしても、そのペットが死んでしまったら、再び孤独感を味わうことになります。寂しさを忘れるためにお酒を飲んでも、酔いが醒めれば寂しさとともに虚しさと二日酔いまで味わうことになります。

 悲しみは、疲労感、うつ、絶望などをもたらすだけでなく、喉のつかえ、手足の震え、呼吸の乱れなどのつらい症状も引き起こします。そのために人とのコミュニケーションがうまくとれなくなったり、仕事ができなくなることもあります。

 もし、それほどまでに私たちを苦しめる悲しみが、すべて誤解だと言ったら、乱暴すぎるでしょうか?

 悲しみには、病気や空腹など、自分自身の心と身体に起因するもの、そして争いや別れなど、周囲の人やものごとによるもの、さらに地震や洪水など、自然現象によるものがあります。『ヨガ・スートラ』は、これらの直接的な原因と共に、私たちが苦しみを引き寄せる心の要因として、「優柔不断」「不注意」「怠惰」「誤解」「不安定」などを挙げています。

 ふつう私たちは、優柔不断や不注意のために悲しみを抱えることになるとは考えませんね。悲しいできごとについて、悲しむのは当然だと思っています。けれども、そのような心の認識こそが、実は誤解なのです。