新しい年になって政権交代が行われ、世間は少し活気づいている。そんななかで女子柔道界に暴力、ハラスメントが蔓延している事実が明らかになった。大阪桜宮高校の体罰による自殺の問題から教育の現場、特にスポーツ指導の現場で、体罰が常態化していたことが明らかになってきた。

 これらが一気に噴き出て来た背景を独断で言うなら、「不況」が原因だろうと思う。

 不況で予算が少なくなる。何事も成績重視になる。すると答えが出やすいスポーツの世界では結果しか求めなくなる。柔道は「柔の道」、言わば王道なのに成績のみの覇道の世界になる。高校も同じだ。私立だろうが、公立だろうが、成績を上げなければ生徒は集まらず、経営者(市長、府長も経営者)から文句が出て、予算を減らすぞって脅される。

 こうして成績重視のために短期的な成果を求める指導者は、精神的にも追い詰められているからいらいらしているし、体罰ってことになる。

 孔子も論語の中で「小人窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す。」(衛霊公第十五)と言い、小人(我々のような人間)は、困れば困るほど悪いことをすると言っている。

 先生は君子のはずだが、小人になっているのだろう。それはいかに教育現場が、追い詰められているってことなんだろう。それが体罰というものになって顕れている。

先生自身が「学習」に悦び

 そこで今まで多くの古典を参照してきたが、日本の道徳の原点とでもいうべき「論語」に今年は立ちかえってみようと思う。

「論語」を読むことで、もういちど、成績ばかりではない、日本人の精神性を考えてみたい。

 もとより私は論語学者でないから解釈は自分流だ。間違い、強引な解釈も勘弁してもらいたい。