本年は、20年に1度行われる伊勢神宮式年遷宮の年にあたり、秋にはご神体が新殿に移されます。

 日本では、縄文時代から食べられていたとされている「ひじき」は、奈良時代から現在に至るまで、伊勢神宮に供えられてきた「神饌《しんせん》」の一種です。

 伊勢湾は上質の海藻が採れる産地として、「伊勢ひじき」や「伊勢あらめ」は、日高昆布、浅草海苔、品川海苔、鳴門若布《わかめ》などと並んで、江戸時代にはすでにブランド商品とされていました。

 実はこのひじき、平安時代の一大スキャンダルの小道具にされた形跡があるのです。

平安時代きってのモテ男<br />在原業平が二条后に贈った「ひじき」紫蘇ひじき
【材料】ひじき…20g/ゆかり…大さじ2/白胡麻…大さじ1/削りがつお…1袋/酒…大さじ1/砂糖…大さじ1/胡麻油…大さじ1
【作り方】 ①ひじきはたっぷりの水に30分浸して戻し、ザルに取って水洗いしたら水気を切る。②鍋に胡麻油を熱し、1を強火で炒めて酒、砂糖、ゆかり、削りがつおを入れて、汁気がなくなるまで炒める。③火を止め、白胡麻を混ぜる。

 根拠は、平安時代の天才歌人にしてイケメン&モテ男、在原業平をモデルにして書かれたとされている『伊勢物語』の第三段。

「むかし、男ありけり。 懸想しける女のもとに、ひじきもといふものをやるとて、 思ひあらば むぐらの宿に 寝もしなん ひしきものには 袖をしつつも。 二条の后の、まだ帝にも仕うまつり給はで、ただ人にておはしましける時のこと也。」

 ……と書かれています。

 訳しますと、「昔、男(=在原業平)がいました。惚れた女性にひじき藻というものを贈り、『もしあなたに私を思う気持ちがあるのなら、雑草が生い茂るこのあばら家で、引敷物の代わりに袖を敷いてでも一緒に寝ましょう』という歌を添えた。二条后(=藤原高子)がまだ、帝(=清和天皇)と結婚して皇后になられる前の、一般人であった時代のことです」となります。

 「ひじき藻」と「引敷物《ひしきもの》」を掛けた贈り物、というわけです。