知識創造経営のコンセプトの生みの親である世界的経営学者の野中郁次郎氏と、野中氏の研究パートナーで『利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのかーードラッカー、松下幸之助、稲盛和夫からサンデル、ユヌスまでが説く成功法則』の著者、目的工学研究所所長の紺野登氏との対談前編をお送りする。
多くの世界の企業の関心は「手段」から「目的」へと移り変わろうとしている。日本人はそうした世界の動きとどう向き合うべきなのだろうか。(構成/曲沼美恵)

ビジネスの効率ばかりを考えると、
重要な人や知識がなくなってしまう

紺野 イギリスの経済誌『エコノミスト』は、2013年のグローバルトレンド10の1つに「利益から目的へ」(From Profit to Purpose)を挙げました。世界は今まさに、目的重視の方向へと転換しています。企業経営という観点から言うと、顧客やステークホルダーから「何のためにビジネスをしているのか」をますます強く問われる時代に入ってきたと言えませんか?

「世のため人のため」の仕事観は、外国人には驚き。<br />「日本の当たり前」を知識経営の視点から捉え直す。<br />――対談:野中郁次郎×紺野登(前編)野中郁次郎(のなか・いくじろう) 
一橋大学名誉教授
早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造(株)勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて博士号(Ph.D)を取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校教授、一橋大学産業経済研究所教授、北陸先端科学技術大学院大学教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授を経て現職。カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)ゼロックス知識学名誉ファカルティースカラー、クレアモント大学大学院ドラッカー・スクール名誉スカラー、早稲田大学特命教授を併任。知識創造理論を世界に広め、ナレッジ・マネジメントの権威として、海外での講演も多数。論文、著書多数。

野中 そうだと思います。その目的のあり方として、最近、いろいろなところで「共通善(コモングッド)という言葉が頻繁に使われるようになってきました。一方でハーバード大学の経営学者であるあのマイケル・ポーターが、CSV(Creating Shared Value=共通価値の創出)などということを言い始めたのにも驚きました。

紺野 ポーターの戦略論「ファイブフォース」では、顧客は「売り手」に対する「買い手」という位置づけです。要するに、すべてが競争を前提とした対立関係の中で捉えられている。そのような文脈から、「顧客にとっての本来あるべき価値は何か」を重視するようなコンセプトが生まれてきたのは、確かに驚きですね。

 実はCSVのオリジナルは2005年にスイスの総合食品メーカーのネスレが打ち出したコンセプトで、ポーターと一緒にコンサルティング会社を経営しているマーク・クラマーが普及させたもののようです。

野中 ポーターが非常に優れていたのは、経済理論とマネジメントを総合した点です。ここは確かに、独自性がある。しかし、彼が作ったモデルは基本的には経済学的な独占・寡占を志向するものであって、何か新しいものを創造しようという時には役に立ちにくい面があります。

 アメリカの経営学者、デビッド・ティースなどは、ポーターの戦略論では経営者やイノベーションすら登場しないではないかと彼を痛烈に批判し、長期的成功を目指すための新しい戦略論として「ダイナミック・ケイパビリティ」というコンセプトを打ち出しています。

紺野 それは表層的な競争戦略や効率的経営にも共通する批判ですね。米国企業でも90年代に、リエンジニアリングなど、効率的経営によって一時は業績を回復したかに思えた企業が、しばらくすると前よりもひどい状態になってしまうケースが見られました。

 そのとき企業にとって最も重要な人や知識が外へ出て行ってしまい、組織の中に蓄えられていた暗黙知が急速にやせ細ってしまうという現象が見られたのです。企業経営の持続性が失われてしまうばかりか、経営にとって本来必要な社会に対する責任感や倫理観というものが、どうしても抜け落ちていってしまうのではないかと私は考えています。