ポスト冷戦時代に
中国はどう認識されたか

 本連載第二回第三回に渡って、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマ氏の学説に言及してきた。

 冷戦崩壊、ソ連解体前後において「歴史終焉論」を展開したフクヤマ氏が、それから約20年が経ったいま、この期間崩壊しなかった「共産中国」の政治体制をポジティブに検証し、そこに何らかの歴史的依拠・正当性を見出そうとする学術努力を払っている点を、かつて崩壊するとささやかれた中国共産党は見逃すことなく、中国の言論市場に「逆輸入」することによって、自らの政権に西側発の正当性を与えるべく利用しようとしている。

 両者の歩み寄りは突然変異などでは決してなく、私の見解を言わせてもらえば、過去約20年という年月をかけて漸進的になされたものに他ならない。ポスト冷戦時代に相当するこの20年という時間に、中国と米国が主導する国際社会では何が起きて、西側が牽引する国際世論は台頭する中国をどのように認識してきたのであろうか。このポイントをレビューすることなくして、「歩み寄り」を解き明かすことはできない。

 トウ小平(トウの字は「登」におおざと)が「社会主義を堅持しつつも改革開放を進める」という「世紀のプラグマティズム」を本格的に提唱して同じく約20年が経つ。1991年当時、トウ小平氏は世界を震撼させた天安門事件(1989年6月)という歴史のトラウマをどう克服し、中華人民共和国が国際社会の一員として、特に西側諸国からの信任を獲得していくかという世紀の難題に向き合っていた。

 当時西側社会で騒がれていたのは「中国崩壊論」であり、そこには「国民の民主化要求を武力で鎮圧するような国家とはまともに付き合えない」という疎遠感までもが内包されていた。

 天安門事件という暗黒の衝撃に見舞わされた中国は、ソ連が解体された後、社会主義を掲げる唯一の大国と化した。二重の圧力にもがく中国を「中国崩壊論」という国際世論が襲った。それでも中国は崩壊しなかった。それどころか、急速な経済発展を武器に、国際プレゼンスを拡大していった。