バングラデシュと言えば「ネクスト11」といわれ、新興経済国に仲間入りする国のひとつだ。だが、貧困と洪水のイメージが邪魔をし、多くの日本企業が“バングラビジネス”にまだピンと来ていない。その一方で、このバングラデシュで半世紀の長きにわたって商機を追い求める企業もある。伊藤忠商事の鈴木琢也ダッカ事務所長にバングラビジネス最前線を聞いた。

「日本企業はあちこちで大歓迎を受ける」<br />バングラデシュに根付く伊藤忠商事の活動すずき・たくや
1959年、神戸市出身。1982年伊藤忠商事に入社。入社以来繊維部門一筋、若い時代に中近東、中堅以降スポーツ関係を中心に北米、日本国内、中国など等多岐に渡って携わってきた。世界各地での経験を経て、2011年からバングラデシュのダッカ事務所長。2011~12年はダッカ日本商工会会頭、2012~13年はダッカ日本人会の会長に就任。趣味は絵画、ピアノ、ゴルフ。

 伊藤忠商事とバングラデシュの関わりは深い。過去50年以上にわたって日本人駐在員を送り続けて来た。しかしそこは相当厳しいビジネス環境だと言われている。

鈴木 伊藤忠商事がバングラデシュの首都ダッカに事務所を開設したのは1961年のこと、最古参の日系企業だ。当時は事務所にいたのは5人足らずだったが、今では80人の大所帯に成長した。近年、経済成長を遂げるバングラデシュとはいえ、世間ではこの国は「一番厳しい国の一つ」だと言われている。

 伝染病、疫病、デング熱、食中毒と毎週のように病に冒される邦人、緊急時はシンガポールかタイで医者にかかるしかない。日本からの直行便はなく、日本食からも隔絶された世界だ。バングラデシュに駐在する日本人は、仕事以上に身を守ることで精一杯だといえる。生活環境の厳しさは世界有数だ。

 交通渋滞、インフラの未整備、汚職、ストライキはこの国の現実だが、日本人はこれを目の当たりにすると「ウワーッ」と引いてしまう。また、国民の教育はまだまだ途上で、社会道徳や商業道徳の欠如も垣間見られる。デメリットを挙げればキリがない。だが、今この国で頑張らないでどこで頑張るのだろうか。私は決して悲観はしていない。かなりの商売がここにはあると思っているからだ。弊社はいま攻めの経営を掲げているし、私も毎日“ねじりハチマキ”でやっている。

伊藤忠商事のバングラビジネスはジュートから始まった。今では縫製機械からプロジェクト案件まで広範にカバーする。バングラデシュには文字通り、多くの商機が眠っている。