安倍晋三首相は、このところ前のめりになって、集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更に突き進んでいる。

 12日の国会で憲法解釈の「最高責任者は私だ」と強調。あたかも首相が自由に憲法の解釈を変更できるかのような印象を与えた。

 さすがにこの発言には自民党内も黙ってはいない。

 13日の総務会では、村上誠一郎元行革相が「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と強く批判。自民党の憲法改正推進本部の船田元氏も「拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と戸惑いを隠さない。

 連立与党の公明党も井上義久幹事長が記者会見(14日)で強くけん制した。

「憲法の整合性を内閣法制局がチェックし、歴代内閣が尊重してきた経緯は重い。それを踏まえて発言してほしい」

 この問題はとりわけ公明党にとって生命線とも言えるもの。解釈改憲に断固として立ちはだかることが公明党に対する世論の大きな期待である。消費税増税でも、特定秘密保護法でも公明党は一定のブレーキ役を果たしたものの最終的に自民党に押し切られた感は否めない。ここは党の運命に関わる正念場だ。

国民無視の解釈改憲は邪道

 さて、この問題には、異質な2つのポイントがある。

 ①まずは「解釈改憲の是非」が1つの重要なポイントだ。

 そもそも政府が恣意的に憲法の解釈を変更することができるのかという重大問題。

 しかも、それが並みの条文ではなく、憲法の根本規範とも言える条文に関することである。

 もしもそれが許されるなら、憲法は政権の勝手な解釈変更によってどのようなものにも変えることができる。それではもう憲法とは言えないし、国際社会の失笑を買いかねない。