「平日都会、週末田舎」という暮らしを実践する『週末は田舎暮らし』の著者・馬場未織さんと、「都会で働き、田舎に暮らす」というライフスタイルの、「greenz.jp」の発行人で、『「ほしい未来」は自分の手でつくる』の著者・鈴木菜央さんが語る、よりよく生きるための田舎暮らしのすすめ。どちらも東京育ちの都会っ子。田舎に対する思いや、理想の土地を房総に見つけたことなど共通点も多い2人が、これからの豊かな暮らし方について話し合いました。

「生きる力」を取り戻す!<br />よりよく生きるための「田舎暮らし」のすすめ<br />【馬場未織×鈴木菜央対談】

「生きる力」を取り戻すこと
阪神淡路大震災で気づいた社会のもろさ

馬場 鈴木さんが千葉県いすみ市に移住されたのは、いつごろですか?

鈴木 2010年4月です。それまでは東京都世田谷区の等々力渓谷近くに住んでいました。緑も多いし、多摩川の土手までも歩いて行ける、23区内としてはとても自然に恵まれたところでした。便利だし環境がいいし静かだし。移り住んで3年半くらいでしょうか。馬場さんの田舎暮らしはもっと長いですよね?

「生きる力」を取り戻す!<br />よりよく生きるための「田舎暮らし」のすすめ<br />【馬場未織×鈴木菜央対談】馬場未織(ばば・みおり)
1973年生まれ。日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所に勤務。退社後ライターに転向し、建築雑誌やファッション誌などで執筆。私生活では南房総にて週末里山暮らしを実践し、2011年に建築家、農家、造園家らとともに里山活用のNPO法人南房総リパブリックを設立。目下、親子向けの自然体験教室「里山学校」(南房総市)、「洗足カフェ」(目黒区)、三芳つくるハウス(南房総市)を運営中。

馬場 私は移住ではなく、東京と南房総を行き来する「二地域居住」ですが、もう8年目になりました。鈴木さんが東京を離れて、田舎暮らしを選んだきっかけというのは何だったのでしょうか?

鈴木 僕自身はバンコクで生まれ、東京で育ったのですが、東京に“地元”という気持ちが持てないんですね。それは親が目黒、田園調布、二子玉川と引っ越しつづけた影響もあると思いますが。

馬場 分かります。私も東京は大好きですが、“故郷としての愛着”が持てないんですよね。だからこそ、『週末は田舎暮らし』という本にも書いたのですが、生き物や外遊びが大好きなニイニ(長男・現13歳)の下に、ポチン(長女・現9歳)が生まれて、「東京に暮らすだけでいいのかな」「田舎が欲しいな」とすごく思うようになったんです。

鈴木 すごく近いですね。僕も、子どもたちには「いつでも安心して帰れる故郷」をつくってあげたいと思ったのがまず大きなきっかけです。特にうちは、妻が岩手県釜石市出身の田舎生まれの田舎育ちで、いつかは田舎を暮らしの拠点にしたいと望んでいたんです。

 東京での子どもたちの遊び場は、用意された公園がメイン。自分で開拓して遊ぶということができない。本当の意味で子どもが子どもらしく過ごせる場所が本当に少ないんですよね。

馬場 そう、東京にはランドセルをポーンと投げ出して遊べる自然がない!

鈴木 それに東京では、自足自給どころか地産地消が非常に難しい。

馬場 “都会は大人の街”という気がします。外で自由に開拓しながら遊ぶ場所、という選択肢がない中、「ゲームをするな」と言う自分に違和感がありました。とくにニイニは自然が大好きな子なのに、我慢させるのはおかしいと、夫婦で話していたんですよね。

鈴木 馬場さんの二地域居住は、子どもの願いが原動力ですか?

馬場 親というのは、子どもの幸せをかなえてあげたいと願う生き物じゃないですか? ゲームが欲しいとか、仮面ライダーショーに行きたいという願いは、都会ではやすやすと叶えてあげられるけれど、うちの息子の場合は「生きものを見たい、知りたい」という願望が強かった。わたしは、その気持ちは大事にしてあげたい方向のものに思えました。本にも書きましたが、その願いを、大人の事情で妨げることに対して、どんな言い訳も通用しない気がしたんです。もちろん自分が自然好きだったということも大きいとは思いますが。

「生きる力」を取り戻す!<br />よりよく生きるための「田舎暮らし」のすすめ<br />【馬場未織×鈴木菜央対談】鈴木菜央(すずき・なお)
greenz.jp発行人、NPOグリーンズ代表。1976年バンコク生まれ、東京育ち。小学校に7年半通い、絵が描けない美大生に。大学卒業後は、農村指導者を養成する「アジア学院」でのボランティアやソーシャル&エコ・マガジン「月刊ソトコト」の編集を経て、2006年にウェブマガジン「グリーンズ(greenz.jp)」を創刊。著書に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』。妻1人、娘2人、ハムスター1匹と一緒に、千葉県いすみ市で、楽しい田舎暮らしに挑戦中。

鈴木 僕らの場合、子どもが生まれてからより具体的な目標ができましたね。「この子が小学校に上がるまでには……」と話し合うようになって、長女が3歳、次女が1歳になった2008年の中ごろから、東京まで通えそうな関東近郊の田舎をあちこち見て回ったんですよ。千葉県の成田、長野県の軽井沢、栃木県の西那須野、神奈川県の小田原、相模原市藤野町、逗子、鎌倉……。最終的にいすみにたどり着いたんです。

馬場 いすみには、ブラウンズフィールド(オーガニックな暮らしを実践しながらカフェやコテージを営む農場)があるんですよね。観光客も多いですか?

鈴木 そうですね。ただ先進的な文化と古来の里山文化、そしてサーフカルチャーがまじりあって、新しい文化圏が生まれている感じがしたし、鎌倉のように「できあがった感」がなくて、新しい何かをつくっていく大きな可能性がありそうに思えたんです。

馬場 うちは夫が普通のサラリーマンということもあり、クルマで週末通える「週末住宅」が前提でしたが、鈴木さんは移住前提で探し始めたんですよね。

鈴木 僕の場合、グリーンズでの活動も関係していますね。『「ほしい未来」は自分の手でつくる』という自著に、移住の2つ目の理由に挙げましたが、自然の循環の中に入った暮らしをしたかったんです。人間が本当の意味で持続可能な社会をつくるための、さまざまな活動をしている人たちを紹介するのがグリーンズでの活動で、その根源にあるのは食べ物やエネルギーの自給自足であり、つまり「生きる力を取り戻すこと」。その循環の中に入りたかったんです。

馬場 都会にいると、すべてが整った状態で供給されて、お客様状態になりがちですもんね。私は大学3年生のときに阪神淡路大震災を見てから、それを強く感じるようになりました。

鈴木 阪神淡路大震災は僕にとっても大きかった。僕は大学入学直前で、入試が終わってから神戸に行って、大学が始まるまでの2ヵ月近く続けたボランティア活動で、都会は、外部からの供給が続いている限りにおいてはとても効率の良い場所だけど、ひとたびシステムが壊れたら、そこは「砂上の楼閣」なんじゃないかと思いました。

馬場 そう、人間が作り上げた社会は実はもろいものだと私も思いました。だからこそ「生きもの」として最低限必要なものの成り立ちをもっと知りたい、食べ物はどこから来てどうやって自分たちのところまでくるのか。そういう根本を知りたいし、子どもたちにも知ってほしい。人間が豊かに生きるとはどういうことかと考えてしまう出来事でしたよね。