いまだ紛糾続くセクハラやじ騒動
都議会だけではない地方議員の勘違い

 たとえ飲み屋の席で口にしたとしても、許される発言ではない。品性を疑われ、直ちに付き合いを絶たれるはずだ。6月18日の都議会で飛び交った一連の「セクハラやじ」のことだ。

 他人を傷つけいたぶることのみを意図したもので、言語道断である。政策を論じる議会そのものを侮辱する行為と言える。追随して笑い声を上げた議員も少なくなく、都議会のレベルの低さが露呈した。下劣なやじを飛ばした議員は複数おり、いまだに名乗り出ない者がいる。

 議員先生の感覚は一般人とは大きく異なっていると思わざるを得ない。それは都議会のセクハラやじ議員たちだけではない。

 千葉市議会は6月25日、市立の小中学校の教室などにエアコンの設置を求める請願を不採択した。「扇風機では限界を超えた暑さに太刀打ちできない」という請願者の訴えに対し、議員からは「環境への適応能力をつけるには、ある程度、耐える能力を鍛えることも必要」といった意見が出された。

 まるで、教育的な配慮から児童生徒をあえて劣悪な環境下で学ばせていると言わんばかりだ。子どもだましにもならない詭弁である。

 とんでもない地方議員は全国各地に存在し、役割を果たせずにいる地方議会の方が圧倒的に多い。住民はそうした実態を知って初めて、怒り落胆することになるが、そうはいっても議員は勝手にバッジをつけているわけではない。皆、有権者が投じた票によって選び抜かれた人たちである。つまり、「選良」というわけである。

 有権者に選ばれたという事実は重い。逆に言えば、とんでもない人を議員に選んだ有権者の責任は大きい(それでリコール制度が用意されていると理解する)。 

 民意を広く集めて政策提案につなげることが、議員の責務の1つだ。ところが、選ばれたことに強烈な自負を持つ議員らは「我々こそが民意を代表し、代弁する存在だ」と思い違いしがちである。さらには、「自分たちの考えこそが民意そのものだ」と勘違いするようになってしまう。まるで有権者から全てについて白紙委任されたかのように振る舞うのである。