ゼロから起業し、エスグラントは上場を果たしものの、リーマンショックにより全財産を失い破綻、その後再びゼロから起業、成功させた若き経営者が心に刻んだ教訓を綴った『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』の出版を記念して、第2章を順次公開。上場を果たしてまさに人生の絶頂にあった著者の視界に暗雲が漂い始めます。第2回は忍び寄るサブプライムの影。第1回はこちら

サブプライム危機を
予測できなかったのか

「アメリカがおかしい」
 日本で米国金融業界の変調が報じられるようになったのは、ちょうど詐欺事件でばたついた2007年6月頃のことだった。サブプライム住宅ローン危機である。

 サブプライムとは、「プライム=優良」ではない低所得者層を対象とした住宅ローンのことだ。アメリカで続いていた超低金利政策と住宅価格の引き上げ政策を背景に、年収が低い人でもローンを組んで住宅を購入することができた。

 年収が低い、といっても常識で考えれば住宅ローンを組むためににはそれなりの信用が不可欠だ。ところがサブプライムでは、不法移民で年収わずか200万円のパートやアルバイトにも貸すほど、審査はないに等しい状況だったのである。日本では考えられないような乱脈融資が行なわれ、住宅バブルが引き起こされた。

 ところが、マーケットの活況とともに徐々にアメリカの長期金利は引き上げられ、2006年頃から、住宅価格の上昇に歯止めがかかり始める。無理なローンを組んだ低所得者層は次第に返済が滞るようになり、2007年4月には、アメリカのサブプライムローン業界2位の座にあったニューセンチュリーフィナンシャル社が経営破綻する事態を招いていた。

 サブプライムローンの債権は証券化され、車のローンなどほかのさまざまな債権と合わせて「CDO(Collateralized Debt Obligation=債務担保証券)」と呼ばれる金融商品として機関投資家に売却され、市場に浸透していた。

 さらにデリバティブ(金融派生商品)として、CDS(Credit Default Swap)と言われるCDOなどに損失補填をかける商品が誕生した。その損失補填、つまり保険を引き受けた会社がAIGだったのだ。本当に破綻が始まれば、最終的にAIGは天文学的な金額を保証しなければならない。

 その証券の組成、販売では多額の手数料が投資銀行にもたらされ、担当者には日本円にして数億円というボーナスが配られた。そして、投資銀行のCEOは数十億円のボーナスを手にしていたのだ。