前回は設備や装備の話を中心に、ノルマンディー上陸戦でのイノベーションについて見た。次に、リーダーシップや創意工夫という点からも、革新性を見ていきたい。そのポイントは3つある。

ノルマンディー上陸戦における
リーダーシップの革新性

 リーダーシップや創意工夫という点から、ノルマンディー上陸戦での革新性を見ると、ポイントは3つある。

 1つは現場指揮官の決断である。

軍事技術・戦術におけるイノベーション【4】<br />水陸両用作戦〈米国海兵隊編〉一橋大学名誉教授 野中郁次郎

 戦場は不確実性の連続であり、その時々にリーダーの判断が求められる。そうしたリーダーシップにおいて、オマハ海岸に上陸した米陸軍コータ准将とキャナム大佐の決断は特筆すべきものと言えるだろう。

 攻撃開始から1時間で、陸続と海岸に押し寄せる友軍によって、オマハ海岸は混乱を極めていた。ドイツ軍が仕掛けた鉄条網や地雷原を突破し、丘陵を登り、機銃の据えられたドイツ軍陣地を突破すること。そのためには、自らが危険を顧みず、先頭を突き進むことが必要となる。それをこの2人の指揮官はやり遂げた。

 もう1つは、臨機応変に創意工夫を採り入れていく柔軟性である。

 ノルマンディー海岸から内陸に向かうと、そこにはこの地方独特のボカージュと呼ばれる背の高い強固な生垣が進撃を妨げた。航空写真で見ると、まるで田んぼのあぜ道のように見える畑の仕切りなのだが、実際直面してみると、思いのほか背が高い。ドイツ軍がそこに身を潜めて待ち伏せる壕の役割を果たす一方、そこを乗り越えようとする戦車は脆弱な腹部を進行方向にさらすことになり、ドイツ軍の的確な攻撃をまともに受けて損害はかさむ一方となった。この丈夫な生垣を破壊するには大量の爆薬を必要とすることも頭の痛い問題だった。

 どう対処したらいいのか。この時、米陸軍のキュリン軍曹が妙案を考えた。戦車の先端部分に2枚の短い鋼鉄製の刃を溶接する、というアイデアを実行に移した。ライノー戦車と名づけられたこの工夫は、ドイツ軍が海岸一帯に設置した障害物を転用することで、容易に取り入れられていく。

 最後は水陸両用作戦である。ノルマンディー上陸作戦は史上最大、しかもグローバルスケールの水陸両用作戦であった。最初はどんな形のものだったのだろうか。

 1942年1月から3月にかけて、東でドイツと戦うソ連を助けるべく、第二戦線をどこに開くかが米陸軍内で大きな課題となっていた。いくつもの案が検討された結果、北部フランスがその地域に選ばれた。

 ただ、この案に対しては反対意見が出た。西ヨーロッパの要塞化された海岸線を突破できないだろう、と。ドイツ軍がその地域の防御を固め、「大西洋の壁」と称して要塞化していたからだ。それだけではない。上空にはドイツ空軍の戦闘隊が、海にはドイツ艦隊が、海岸線では多数のUボートが待ち構えていた。加えて、上陸予想地点には無数の機雷が敷設されつつあった。こうした万全の防御体制の中の進軍は完全な自殺行為と思われたのだ。

 これに対して、アイゼンハワーは次のような作戦を実施すれば、不可能が可能になると反論した。

 圧倒的な空軍力でドイツ空軍を一掃するとともに、攻撃地点への敵の増援を阻止する空爆を加え、敵を孤立させる。海上ではUボートを追撃し、輸送船団の大西洋横断を容易ならしめると同時に、艦砲射撃で敵の防御陣地を速やかに叩く。その隙に、大量の上陸用舟艇を使って陸軍の大部隊を海岸に上陸せしめ、内陸侵攻と敵の要塞攻撃に向かわせる、というものだった。

 これこそ、グローバルスケールの史上最大の水陸両用作戦と呼ばれる理由にほかならない。

 アイゼンハワーは自著『ヨーロッパ十字軍』にこう記している。

〈われわれは戦略思想に全く新しい信念ともいうべき構想を与えようとしているのだと感じた。その構想というものは、陸空兵力を一体として、双方の効果を倍加するに至らしめるまでに空軍を地上作戦に協力せしめようとするものなのである〉