一時期のブームだった状況を通り越し、食事の際にたしなむ食中酒として、日本の食卓において確固たる地位を築いた本格焼酎。酒に限らず、納豆や漬け物、キムチにチーズにヨーグルト等々、数多ある発酵食品の世界にあって、本格焼酎は、日本酒と並ぶ発酵食品のニッポン代表選手である。その発酵という力を研究し続ける斯界の第一人者・小泉武夫先生が、神秘の存在「麹」が醸し出す本格焼酎の奥深き魅力と文化を語り尽くす。

複雑な香味をもたらす
「麹」の秘密とは

こいずみ・たけお
農学博士。専攻は醸造学、発酵学、食文化論。昭和18年福島県の酒造家に生まれる。現在、東京農業大学名誉教授、鹿児島大学客員教授、琉球大学客員教授などを務める。現在、日本経済新聞に「食あれば楽あり」を連載中。著者に、「酒の話」「発酵食品礼賛」「漁師の肉は腐らない」など多数。

「酔い覚めがいい」「悪酔いしない」などと言われる焼酎。酒好きの口実にも聞こえますが(笑)、真偽はともかく、お湯や水で割って飲む、つまりアルコール濃度を薄くして飲むことが多いから、ダメージが少ない印象があるのかもしれませんね。

 じつはこの「割って飲んでもおいしい」「割って飲むのが当たり前」という点は、日本の焼酎ならではの大きな特徴。「世界の蒸留酒の中でも非常に珍しい」と言われるゆえんです。

 ブランデーやウイスキーなど外国の蒸留酒は、割って飲むと酒本来が持つ“ボディ”が崩れてしまうことが多い。ところが焼酎は、割ってもほとんど崩れません。それはなぜかというと、焼酎づくりで使われる日本特有の「麹」のおかげ。これが、複雑な味と特徴的な香りを焼酎にもたらしてくれるからです。

 その「麹」の秘密とは――、米づくりが盛んな日本にたくさんいる黒麹菌を使うこと。白麹菌は黒麹菌の変種ですのでこれに含まれます。日本酒づくりで使われる黄麹菌と合わせ、これらは「国菌」として認められているんですよ。それだけ日本の食文化にとって、コウジキンが大切な存在ということ。味噌、醤油、味醂をつくるのにも使われているのですから。

 コウジキンはカビの一種です。比較的乾燥しているヨーロッパには、そもそも“カビ”が少ないので麹の文化がありません。一方、亜熱帯で湿気の多い東南アジアや東アジアでは、日本同様、穀物にカビを繁殖させた麹が酒づくりに活用されています。ところが、どの国でも使われる菌の多くがクモノスカビ。コウジキンが一般化しているのは日本のみ。それだけ、日本の焼酎づくりにおける独自性は突出しています。しかも黒麹菌は、気温の高い九州や沖縄で焼酎づくりをするのに向いています。なぜなら腐造を避けられるから。

 麹をつくる際、蒸した米に黒麹菌が入るとクエン酸がつくられます。つまり、黒麹を食べると梅干しみたいに酸っぱい。日本酒づくりで使う米麹に甘味があるのとは対象的です。ただ、その代わり、腐敗菌が近寄れず、梅干し同様に腐らないメリットがあるのです。この麹に水を加えると空気中にいる酵母がやってきてアルコールを発酵させ、もろみとなります。この時点ではもろみの中にクエン酸がたくさんあります。ところが、クエン酸は不揮発性なので、蒸留すると粕のほうに残り、焼酎自体は酸っぱくなりません。しかも、蒸留された焼酎はアルコール濃度が高いため、クエン酸がなくても腐らない。焼酎には、ものすごい知恵と工夫が注ぎ込まれていると思いませんか。