『味覚の探求』(単行本1995年、文庫1999年刊行)で、「味覚とはなにか?」という、根源的な食の問題に取り組んだ著書が、いま改めて、“アブラをキーワードに「味覚とは?美味しいとは?」に挑む新シリーズ、開幕!

個性派の蕎麦屋で、冬の滋味(=脂!?)を味わう

 熊の脂は美味しい――前回、さんざんその話をしたら、滋賀(余呉湖)の話では遠いじゃないかと友人たちから文句が出た。まあ、ネットの話は、どこで読まれるか予想もできない。紙の雑誌だったら、送るのにも難儀するような地球の裏側だって、ふつうに同じタイミングで読まれてしまう。だから、場所がどうこうといっても意味はないかもしれない。とはいえ、やっぱり首都圏あたりで読んでいる友人たちなど、東京で食べられないの? との文句が口をつく。

 その東京でも、美味しい熊を食べられるところがないではない。たとえば「菊谷」。巣鴨、地蔵通りの蕎麦屋である。

プロローグ その2――熊の次は、鹿、そして鴨。<br />「日本の冬のジビエ」御三家の脂について身よりも脂のほうが多いような熊肉のかえし煮(右)と、鴨の南蛮漬けで一献(酒の飲み比べをしていたもので、徳利に印付き)。「菊谷」にて

 もともと、私にとってはご近所の蕎麦屋だったのだけど、あれこれあって引っ越すと聞き、嘆いた。数少ない真っ当な店がなくなる、と。それが、講義に通っている大学の近くに移ると知ってほっとした……という話はどうでもいいか。

 そんなわけで、いわゆる老舗ではない。脱サラをして、秩父の名店「手打そばこいけ」に弟子入りし、それから開いたという店。まあ、だから、凝り固まらず、融通も利き、独自の工夫もあり、面白いのかもしれない。

 蕎麦も言うまでもなく美味しいが、それ以前に日本酒をはじめとする酒の揃えが素晴らしい。また、酒の肴が良い感じなもので、酒飲みには最高の蕎麦屋なのだ。蕎麦屋で長居は無粋だと思いつつ、つい長居をしてしまう、そんな店。

 で、ここで熊(の脂の多いところ)を食べさせてくれる。いつもあるというものではないが、運がよければ食べられる。

 主人の菊谷修さんいわく、一応、バランスとして、少し脂身を削ってはいるというのだが、立派に脂ばかりに見える。蕎麦の返し(蕎麦つゆに使う調味料。醤油やミリンなどから作る)で煮たものは、脂が目立つ。それが旨い。シンプルな味付けながら、癖がないもので、きれいな、そして深い味わい。変化をつけたければ、七味唐辛子なり、少しふればいいか。どちらにしても、熊の脂の滋味に感じ入り、酒が進んでしまうというお味。

プロローグ その2――熊の次は、鹿、そして鴨。<br />「日本の冬のジビエ」御三家の脂について熊の肉も旨いんですが、美しい赤身の鹿肉も、実は熊の脂をまとっていて、それはもう……

 そうそう。熊と対照的に脂っ気がない赤身の鹿、その肉も肴に登場したりする。それにしても、上品ながら旨みを強く感じるもので、改めて聞いたら、熊の脂が隠し味となっていた。熊の一皿を作るときに、バランスとして少し脂を削ったりすると先に書いたが、その脂で鹿を焼くというのだ。鹿の赤身に熊の脂をまとわせる……。

 その上で、真空調理法というほど徹底したものではないけれども、袋にいれて、味を染みこませ、湯煎にかけると。見事なまでに熊の味わいとは対照的だが、これまた素晴らしい冬の滋味である。

蕎麦屋の定番、鴨肉と合わせて、冬のジビエ、御三家といったところ。もちろん、ふつうの酒肴、蕎麦味噌や山葵漬け、チーズのかえし漬けや鯖の燻製(うん?ふつうじゃないかしら?)等々も素晴らしく酒を呼ぶものだから困ってしまうのだ。

プロローグ その2――熊の次は、鹿、そして鴨。<br />「日本の冬のジビエ」御三家の脂についてもちろん、蕎麦屋の定番的な酒肴も揃っているのだが、こんなレアものも。寒ブリなどの様々な部位のスモーク。酒が、いや、酒だけでなくウイスキーまですすんで……