いま、金融の専門家たちに絶賛され、静かに話題になりつつある本がある。ゴールドマン・サックス、ドイツ証券などで長年トレーダーとして活躍してきた松村嘉浩氏による、『なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』だ。
マクロ経済理論、世界システム論から『進撃の巨人』などの漫画作品までを織り交ぜた分析で、我々が数千年に一度の歴史的転換点にいることを「小説形式」で明らかにする同書の前半部分を、【簡略版】として全5回連載で公開する。
(太字は書籍でオリジナルの解説が加えられたキーワードですが、本記事では割愛しております。)

「さて、ここまでの話を整理しましょう。いずれ、人類史上初めて本格的に人口が減り始めていくであろうこと、デジタル革命が社会の構造自体を根本から変えつつあることを見ました。では、次に別の角度から《新しい時代》が来ていることを見ていきましょう」

「教授、いいですか?」

「はい、なんですか?」
『セックス・アンド・ザ・シティ』を見ましたけれど、教授はこんなガールズ・トークのドラマ見て引かないですか?」

「大丈夫ですよ。残念ながらそこが今回のポイントではありませんし」
教授は苦笑いしながら言った。

「ドラマの始まりで、主人公のサラ・ジェシカ・パーカーが演じるキャリーが『女の子はふたつのLをもとめて、ニューヨークにやってくる。Label(ブランド)とLove』と言っているように、このドラマはファッションも大きなポイントとなっています。あなたは、服とかファッションに興味ありますか?」

「もちろん、ありますよ。女の子ですから」

「たくさん、欲しいですか?」

「もちろん、おしゃれしたいですから、たくさんあるほうがいいです。それって当たり前じゃないですか」

「ですよね。でも、部屋にあふれるくらいの服を持っていたとしたらどうでしょう? まだ、欲しいですか?」

「う~ん、どうでしょう……そんなことになったことないから、わかんないです」

「そりゃ、そうですね。失礼しました。じゃあ、あらためて『セックス・アンド・ザ・シティ』を見て見ましょう」
教授はDVDのスイッチをいれた。

「まず、ミスター・ビッグといよいよ結婚することが決まったキャリーが新居を探すシーンです。いろいろ探し回ったあげく、予算を超えるようなマンハッタンの超高級マンションのペントハウスを買うことをミスター・ビッグが承諾して狂喜するキャリーですが、クローゼットを見て急にしょんぼりしてしまうというシーンが出てきます。ファッションが大好きで靴をこよなく愛するキャリーは膨大な服や靴を所有していて、超高級マンションのクローゼットでも不十分だったのです。
別のシーンですが、キャリーが個人秘書の面接にやってきた女の子がルイ・ヴィトンのバッグを持っているのを目ざとく見つけると、『3人のルームメイトがいるセントルイスから来た無職の女の子が、どうしてルイ・ヴィトンのパッチワークボウリィを持っているの?』と訊きます。『いつもバッグ・ボロー・オア・スティールから借りるの。ネットフリックスみたいな、会費制のサービスよ』と答えます。キャリーはこんなサービスがあって、買うことに比べると何十分の一のコストであることを知って驚きます。このふたつの話から、あなたは何を考えますか?」

「え~と、服や靴を買いすぎると、今度は収納が問題になってしまって大変だということですよね。きっと、整理したり、クリーニングしたりするのも大変でメンテナンスするだけでも、ものすごくおカネがかかっちゃいそうですね。そうすると、どこに何があるのかさえわからなくなりそうで、実際に着ていくのもひと仕事になっちゃいそうですね」

「そうですね。モノを所有するというのは、意外にやっかいなものなのです。私も昨年、引っ越しをしたのですが、同じところに住んでいると意外にモノが溜まっていくもので、バブル時代に買って以来、結局1回しか使わなかったキャンプ用品とかスキー用品とか、どうしたものか悩みました。もしかしたら、また使うかもしれないけれど、収納するスペースのムダを考えて結局、処分することにしました」

「それ、すごくわかります。断捨離ってやつですね」

「ずいぶん難しい言葉を知ってますね。そのとおりです。ところで話を戻しますが、『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーとセントルイスから来た無職の女の子の話は、これまでの時代の消費と、これからの《新しい時代》の消費を象徴する話なのです。これを理解するために、次に課題にしていた『シェア〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』という本を見ていきましょう。読んできましたか?」

「はい、読みました」

「『シェア』を読むと、モノを所有するのではなく、必要なときに必要なだけ使うために“共有”する世界が広がっていっていることがよくわかります。そして、今までの“モノを持っていることがカッコイイ”という基準すら変わりつつあることがわかります。経済が高度化してきて、モノの供給が簡単になってモノがあふれてきたため、モノの希少価値が減ってきているのです。ですから、モノを見せびらかすことでエラそうにすることが限界になってきているといえるでしょう。例えば、私が学生だったバブル時代には車を持つことがステイタスで、女の子にモテるための必須アイテムでした。でも、今はそうでもないですよね?」

「え、そんな時代があったんですか。逆にびっくりです。車を持っている学生なんてそもそもいませんもん」

「そのころは、どんな車に乗っているのか、どんな服を着ているかなど、モノが人の価値を決めていたといってもいいでしょうね。モノが希少だったから、それを持っている人はエラいわけです。まだモノが行き渡っていない中国では、女性は車を持っているのかどうかを必ず男性に訊くようですが。
でも、逆に成熟化が進んだ先進国のようにモノがあふれてしまうと、『シェア』の中にも出てくるように、車を持つよりもカーシェアリングの会員になるほうがカッコイイとなる可能性があるのです。『シェア』の第一章では、“もうたくさんだ”というタイトルで、ハワイの西の沖合に現代消費社会が生み出すゴミの海ができていて、現代社会のハイパー消費が生み出す問題を指摘しています。地球環境を無視して必要以上のモノを持つことは、むしろカッコ悪いことだという意識が生まれてきているということでしょう。
それは、これ以上人が増えたら、地球が限界を超えることを人が本能的に意識して少子化が進んでいるのでは、という仮説と共通点のある話です。
このあいだ東京モーターショーを見に行きましたが、テスラの新型車はデジタル革命と親和性があるデザインで、電気自動車といえば近場を乗り回す程度のモノという意識を革新させる高級車でした。地球環境にやさしいことが最先端のファッションであることを感じました。今どきは排気ガスをまき散らすスポーツカーを乗り回すより、電気自動車のほうがモテるのかもしれませんね」

「草食男子も、こういう流れで生まれてきているんでしょうか?」

「その可能性が高いでしょう。アニメの『氷菓』のように、田舎を舞台にした主人公が省エネをモットーとするような男の子の作品は昔であれば考えにくいですね。日本の草食男子のようなモデルは《新しい時代》に人が無意識で適合しようとしている結果だと考えられます。
逆に、『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーは、リーマン・ショック前で、アメリカが物質的な繁栄を極めた最絶頂だった時期だったこともありますが、アメリカの物質消費文化の極限で、もはや古いモデルといえるでしょう。キャリーが大好きなファッションは、機能だけを考えればひとつでいいものを、おしゃれできれいでありたいという欲望からたくさん所有しようという“消費意欲”を煽るためにあるわけです。まさに、これまでのどんどん成長する経済を代表していると言えるでしょう」

「『セックス・アンド・ザ・シティ』って、ブランドの宣伝のドラマですよねぇ。007のボンドカーみたいな」

「ちなみに、ヴェルナー・ゾンバルトというドイツの経済学者が『恋愛と贅沢と資本主義』という本を書いていますが、贅沢こそが資本主義の生みの親の1人であり、人々を贅沢へと向かわせたのは女性だという理論を述べています」

「すごく面白いことを言う学者さんがいたんですね」

「極論に聞こえますが、これは真実であることは間違いないのです。モノや快楽に対する欲望がこれまでの資本主義を動かしてきたのです。キレイになりたい女性の欲望は消費を生み出す源泉で、物質主義および資本主義を象徴するものです」

「これでキレイになれると思うと、女の子はいろいろなものが欲しくなるのが普通ですね。益若つばさちゃんが使ったモノがすごく売れるというのも同じ話ですね」

「100億円ギャルといわれているそうですね。私はそういう分野は疎いのでいまひとつわかりませんが……」

「教授が益若つばさのこと詳しかったら、コワいです」
笑いながら絵玲奈は言った。

「いやまあ、とにかくですね……そういう欲望を起点とする分野は存在するのでしょうが、そうでない分野がどんどん発生しているのです。私はネットの世界は専門ではありませんが、ネットの世界で起きていることはリアルの世界に先行している可能性が高いと思っています。なぜなら、取引コストや情報の非対称性が非常に低い世界なので、人がやりたいことをリアルの世界より簡単に行なうことができるからです」

「取引コストや情報の非対称性が非常に低いって、どういうことですか?」

「具体的に少し例を出して説明しましょうか。例えばテレビを買いたいとしましょう。いろんなお店に行っていちばん安いお店を見つけようとすると、あちこち歩き回ったり、電車に乗って移動したりしておカネも時間もかかりますよね。ところが、ネットの世界の価格ドット・コムにいけば、そういうコストをかけなくても、いちばん安い店をカンタンに見つけられますよね。こういうことを取引コストや情報の非対称性が非常に低いというわけです」

「なるほど、よくわかりました」

「というわけで、ネットの世界はリアルの世界よりも簡単にやりたいことができるので、時代のトレンドを知るために、ネットの世界で起きていることを観察することは非常に大事です。ネットの世界でカーシェアリングや、エア・ビー・アンド・ビー(Airbnb)のような過去では考えられなかったビジネスが成功し、“シェア”が広がっている事実は、《新しい時代》が来ていることを表していると考えています」

「それはどういうことですか、教授」

「モノの所有に執着しないで、効率的に必要なときに必要なモノを使えればいいという“シェア”が広がっている理由のひとつとしては、モノがあふれた結果、《モノに対する欲望が飽和する新しい時代》が来ているということが考えられます。モノがあり余ってモノが欲しくなくなるなんてことは、人類が初めて経験することなのです。ひとつ例をあげましょう。松下電器産業という会社は知っていますよね。今のパナソニックです」

「はい、もちろん知ってます」

「創業者の松下幸之助氏の水道哲学は知っていますか?」

「知らないです。なんですか水道哲学って」

「水道水のように低価格で良質な家電を潤沢に供給して、人々を幸せにして、この世に極楽浄土を創るというのが水道哲学でした。松下電器の使命だと松下幸之助氏が説いたという話です」

「松下幸之助さんって、高い志を持って社会貢献を考えていたんですね」

「そうですよ。そういった人は、特に昔の日本の経営者には多くいたと思いますよ。おカネを持ったら社会に還元するといった気持ちを持つ人が多かったのです。美術品を大切にしたり、芸術家のパトロンになったりして後世に残る資産を残そうとしています。物質主義のアメリカ流の経営者に、自分の欲望のためにおカネを持ったらプライベートジェットを買っちゃう人が多いのとはだいぶ違いますね。
それはともかくとして、家電がコモディティ化して、みんなが普通に冷蔵庫やテレビを持てるようになって、需要が埋め尽くされてしまうなんてことは、さすがの松下氏も想像しなかったことでしょう。
そして、松下氏が理想にしたように、みんなが家電を持つことになって便利な世界が来たのに、極楽浄土になるどころか逆に《漠然とした不安》が覆うような世界になっちゃうし、創業した会社も経営危機に何度か襲われるなんて、松下幸之助氏は天国で今どんなことを考えておられるでしょうか」

「う~ん、すごくパラドックスなお話ですね……」

「さて、ちょっと経済学の話をしましょう。経済学は人が利益や欲望を求めて合理的に行動することを前提にしています。よって人がモノを欲しがることが大前提です。
ですから、古典派経済学のセイの法則は、“供給はそれ自身の需要を創造する”と言っています。カンタンにいえば、モノをつくって供給すれば、人々はモノを欲しがるので必ず需要が発生するという考えです。もし、たくさんつくりすぎて余ったとしても、値段を下げれば人々はモノを買い求めるので問題ないという話です。
なぜ、このような考えが生まれたのかと言えば、古典派経済学が生まれたころのヨーロッパはまだ貧しくモノをつくる能力にも限界があったため、モノをつくれれば必ずだれか欲しい人が出てくるのが当たり前だったからです。モノがあればあるだけ幸せになれるというのが経済学の大前提だったというわけです」

「古典派経済学の“供給が需要をつくる”っていうのはそういう時代背景があるわけですね。それに、モノがあればあるだけ幸せになれるはずっていうのは、さっきの松下幸之助さんと同じ発想ですね」
絵玲奈は、一般教養でとった経済学の授業で学んだセイの法則の背景がわかって目からうろこが落ちた。

「そうです。そのとおりです。例えば古典派経済学の始祖のアダム・スミスのころのイギリスは、疫病も多く衛生状態も食糧事情も酷くて、平均寿命が30代という時代ですから、貧しくてモノは基本的に不足していました」

「キャリーのように死ぬほど服や靴を持っているような状況が生まれるなんて、アダム・スミスには夢のまた夢だったわけですか」

「そうですね。その時代のイギリス人から見たら、現在の先進国の庶民の生活ですら、貴族階級以上のとんでもないものに見えるでしょう。いずれにしても重要なことは、私たちは昔の経済学の前提も根底から崩れる《新しい時代》にいるということです。モノの供給が容易になって、さらにはモノがあふれて《欲望が飽和する時代》を経済学は想定していなかったのです。松下幸之助氏が夢見たみんなが冷蔵庫を持つ時代になってしまって、いくら値段が安いからといって、2台も3台も家に冷蔵庫はいらないというところまできてしまったわけです」

「たしかに、そういう意味で欲しいモノって、減っていますよね」

「さきほど例に出した車はいい例ですが、昔はかっこよくデートしたくて車が欲しいという“欲望”があって、がんばっておカネを稼いで車を買うという“需要”があったわけですが、そういうものがなくなってしまっているわけです。そして、前回までの少子化や人口減の問題もこの話とつながってきます。いまお話ししたのは、個人の欲望が満たされて“需要”が減っていくという話ですが、少子化や人口減によって経済全体の“需要”も低下してしまうということです。
近年ベストセラーになった藻谷浩介氏の『デフレの正体』という本は、この事実に焦点をあてて書かれています。また逆の例ですが、『ザ・グレート・ブーム・アヘッド(経済の法則)』というアメリカのハリー・S・デント・ジュニアというコンサルタントが1990年ごろに書いた本が、アメリカの経済が大好況を迎えるという予言をしていて、まさにそのとおりになりました。著者の指摘は人口に視点を当てた、単純ですが当時はユニークなものでした」

「それは、どういう内容なんですか?」

「経済学者ではない著者は、きわめて単純でわかりやすい議論をしています。ではクイズですが、人生でいちばん大きな買い物ってなんだと思いますか?」

「う~ん、なんでしょうね……車かなぁ」
絵玲奈は少し考えたけれど、思いつかなかった。

「答えは家です」

「ああ、なるほど。たしかにそうですね」

「その本の著者は人のライフサイクルに焦点を当てて議論しています。人生でおカネをいちばん使うのは、家族を持って家や車を買ったりする時期で、それは壮年期といわれる時期なのです。人はその時期にいちばんおカネを稼いで、また使うわけです。学生まではおカネも稼がないので、たいしたおカネを使いませんし、年をとってリタイヤすれば、おカネを稼がず今までの貯蓄で生活しますから、当然使うおカネは減ります。しかも単純な話、年をとった人は、たいがいはすでにモノは十分持っているわけですし、食べる量も減ってくるので、使うおカネは減りますよね。
で、その本の著者が指摘したのは、ベビーブーマーのような人口が他の世代よりも多い層が壮年期を迎えると、おカネを使う、つまり“需要”が増大するので経済の好況を迎えるというものでした。そして、アメリカの1990年代はまさにその時期に当たっていて、実際に彼の予言どおりになりました」

「なるほど、すごくシンプルでわかりやすい話ですね」

「現在では、この議論は半ば常識化していて、人口構成のうち子どもや老人が少なく、生産年齢人口が多い状態を人口ボーナスといって、高い経済成長が可能だと考えられています。実際に、日本が人口ボーナスのピークを迎えたのが1990年代の半ばで、アメリカが2000年代の半ばです。生産年齢人口がピークを迎える前後にバブルと呼ばれるような好況が発生していることが観察されています。
人口ボーナスの逆は人口オーナスといいます。老人が増えて子どもが減り、働く人の割合が減ってしまう現象ですが、じつは、日本だけでなく先進国の多くがすでにこの『人口オーナス期』に入りつつあります。消費をしておカネを使う、つまり“需要”を生む世代が減って、おカネを使わないで老後にむけて貯蓄する世代が増えるというふうに、人口動態が経済にとってマイナスになる時代に先進国は入ってきているのです。
おカネを使う人が減ってくるだけではありません。アダム・スミスの時代からは考えられないぐらい寿命が伸びたことで、退職してから20年以上も貯蓄で生活するようになったので、現役時代におカネを使わないで貯蓄に回そうとする傾向にものすごい拍車がかかって、これがさらに歪みを生んでいるのです。
さて、ここまでお話ししてきて、“需要”がなかなか生まれてこない《新しい時代》を迎えていることがわかってもらえたと思いますが、いかがですか」

「つまりこれが、デフレの原因ということですか?」

「そうです。あとで詳しく話すことになると思いますが、デフレに陥ったため、なんとか“需要”をつくり出そうと、金利を下げて投資や消費を促してきたわけですが、ほとんど機能せず、結果的に金利はゼロまで下がってしまうことになりました。過去の経済学の常識では、ゼロに金利を下げても人々がおカネを使わずに喜んで貯蓄するなんてことは考えておらず、これまでの経済の病気の治療法がぜんぜん役に立たなくて、困り果てることになっているわけです」

「じゃあ、どうなっちゃうんですか? デフレは治らないんですか?」
絵玲奈は不安になって訊いた。

「その話はもう少し先でお話しします。そろそろ時間なので、今日はこのへんにしましょう」

「次回は、なにか参考のマンガとか映画とかはないんですか? 教授」
帰り支度を始めた教授に絵玲奈は言った。

「え、いやそんなに毎回は……でも、じゃあ、まあ、暇だったらマンガの『鋼の錬金術師』でも読んでおいてください」
苦笑いしながら教授は言った。