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カサノバ社長就任後、一向に業績が回復しないマクドナルド。しかし、マクドナルドの凋落は、中興の祖と評される原田泳幸前社長の時代から始まっていた。その真相を探る。

【企業特集】日本マクドナルドホールディングス(下) <br />原田時代から始まっていた <br />ビジネスモデルの劣化中興の祖とされる原田泳幸前社長だが、2010年以降は打つ手が市場に受け入れられず、業績が悪化していった
Photo by Ryosuke Shimizu

 2008年12月23日、大阪市にあるマクドナルド御堂筋周防町店の売上高が1000万円を超えた。1日の店舗売上高としては過去最高で、記録更新は1985年1月以来、実に24年ぶりのことだった。

 その立役者は、「クォーターパウンダー」。4分の1ポンドという意味で、パテの肉の量は通常のハンバーガーの2.5倍。米国発祥のマクドナルドらしさを象徴する商品で、前社長の原田泳幸氏は、自身の著書の中で、「最も成功した商品の一つ」と振り返っている。

 日本マクドナルドホールディングスの中興の祖と評される原田氏。既存店売上高が7年連続で減少し、02、03年と2年連続で最終赤字という危機にひんしていたマクドナルドの社長に就任するや、救世主のごとく業績を回復させていく。

 まず、注文を受けてから作ることで、出来たての商品を提供すると同時に廃棄ロスを減らす「メイド・フォー・ユー」システムを一気に全店に導入。その上で、100円メニューで客数を増やしてから、高価格商品を投入し客単価を上げるというビジネスモデルを構築し、増収増益の基盤を整えた。

 併せてクォーターパウンダーや、4枚のパテを挟んだ「メガマック」など、ボリューム満点のヒット商品も連発。08年から展開した100円のプレミアムローストコーヒーも大ブレークさせ、たちまち成長軌道に乗せた。

 “原田マジック”によりわが世の春を謳歌していたマクドナルド。ところが、新商品に目新しさがなくなると売り上げは伸び悩むようになる。