5月7日に、米財務省がシティグループ、バンク・オブ・アメリカなど大手19行を対象にしたストレステスト(健全性審査)の結果を公表する。ストレステストは、2月に発表された資本支援プラグラムの一環として実施されており、ある値のGDP、住宅価格などを前提に今後の損失を推定して、それを収益や自己資本でどのくらい吸収できるかをシミュレーションする。もし、自己資本が不足と判定されれば、自力増資か公的資本の注入が求められる。

 このストレステスト、個別銀行の財務内容に注目が集まるが、最大のポイントは金融当局つまり財務省とFRBに対する「信認」ではないだろうか。

 その理由を日本との比較で考えてみたい。日本で不良債権問題が認識され始めたのが、1991年~1992年頃であった。その後、金融不安は拡大と小康状態を繰り返しながらも増幅し、1997~1998年にはついに金融危機が発生した。1997年には山一証券、北海道拓殖銀行が破綻、1998年には日本長期信用銀行(現・新生銀行)、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)が破綻し国有化された。こうした危機を受け、1999年3月にようやく主要15行に対して、約7.5兆円の公的資本が注入され、危機は沈静化したかに見えた。

  しかし、その後も不況の長期化によって不良債権は減らず、再び金融不安が高まり、2002年に当時の竹中平蔵金融担当大臣のもとで、金融庁が「金融再生プログラム」を作成した。このプログラムの目的は、2005年3月期までに主要銀行の不良債権比率を半減させること。そのために、銀行の資産査定を厳しくして不良債権をあぶりだし、不良債権と化している企業は、産業再生機構に売却して、銀行から切り離す。厳しい査定で不良債権の処理損失や売却損が膨らみ、自己資本が枯渇する場合は公的資本を注入して、いわば準国有化するという枠組みだった。

 実際、2003年6月にはりそな銀行に2兆円の公的資本が注入され、同行は準国有化された。このプログラムによって、10数年にも及ぶ日本の不良債権問題・金融危機は、ようやく解決のメドをつけることができたのである。