全国から自殺寸前の人がやってきてそこで「食」をもてなされると活力を得て帰っていく。まさに「ふるさと」のような活動拠点が青森・岩木山麓にある『森のイスキア』だ。
1995年公開、龍村仁監督『地球交響曲<ガイアシンフォニー>第二番』でその活躍が世界中で注目された佐藤初女氏。
その初女さんが93歳の集大成書籍『限りなく透明に凜として生きる―「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光―』を出した。今回は教育でいちばん大事なことを聞いた。

「はい」という返事の大切さを教える

初女さんが教育で最も大事にしていること
佐藤初女(さとう・はつめ)1921年青森県生まれ。1992年、岩木山麓に『森のイスキア』を開く。病気や苦しみなど、様々な悩みを抱える人々の心に耳を傾け、「日本のマザー・テレサ」とも呼ばれる。1995年に公開された龍村仁監督の映画『地球交響曲<ガイアシンフォニー>第二番』で活動が全世界で紹介され、国内外でも精力的に講演会を行う。アメリカ国際ソロプチミスト協会賞 国際ソロプチミスト女性ボランティア賞、第48回東奥賞受賞。2013年11月の「世界の平和を祈る祭典 in 日本平」でキリスト教代表で登壇。チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ法王と初対面。その際、おむすびをふるまう。『おむすびの祈り』『朝一番のおいしいにおい』など著書多数。(撮影:岸圭子)

 「はい」という言葉は、ほんとうに美しいもの。透明の証ですよね。わたしが小さい頃は、親から何かを頼まれたら「はい」とすぐに返事をするようにしつけられました。
 どっちかと言うと、父親のほうが厳しかったですね。

 わたしも自分の息子に「はい」という返事の大切さを伝えましたし、わたし自身も息子に対して、いつもそうはいかないけれど、「はい」という言葉を心がけていました。

 息子が亡くなって13年目になりますが、「透明」の話をすると、「息子さんは透明感のある子でしたか?」と聞かれることがあります。

 わりあい素直でしたので、どっちかと言えばそうだったかもしれません。
 反対から言えば、弱いかもしれないけれどね。

 先日、わたしの携わっている老人ホームの総会に、お花と手紙を持って二人の女性が訪ねてきました。
 どなたか聞いてみたら息子が生前、所属していた混声合唱団のグループの人だったのです。
 生きているならわかるけれど、もう亡くなった人に昔はこうでしたという手紙を書いて……。

 何か息子との交流の中で残るようなことがあったのだろうかと聞いてみると、「やさしかった」って。何かほだされるものがあったんでしょうね。

 息子の友達はね、不思議と母親のいない人が多かったの。だから息子は、いつも友達にうちでごはんを食べて行けってね。
 一人も二人も変わりませんから、わたしはちっとも面倒だと思いませんでしたよ。

 それでみんな一緒にごはんを食べて、わたしのことを「母さん、母さん」ってね。
 わたしもまた息子の友だちのことを自分の子どものような気持ちでいましたから、大人になって結婚式をしたいんだけど、お母さんがいないから、わたしにやってってね。
 息子が亡くなってからも、ずっとその交流は続いているんですよ。