1300億円から、いつの間にか2520億円に膨れ上がった国立競技場の総工費。国民の怒りの声を受けてようやく安倍総理は白紙撤回を表明したが、そもそも国の金銭感覚はどうなっているのだろうか?

根性論、根拠なき展望でスタート
誰も責任を取らなかった

 2520億円なんてカネ、まさしく税金の無駄遣いである――。テレビのしたり顔のコメンテーターからTwitter、Facebookまで非難の声があふれかえっていた。7月17日になって、ようやく見直されることになったが、そもそも2520億円がなぜ問題なのか。使える資金はどうあるべきなのか、かまびすしい議論の結論部分は多分にあいまいさを含んでいた。今回の騒動で垣間見た世論の背景を読み解いていく。

国立競技場の2520億円は、どれくらいの“巨額”だったのか1300億円から2520億円に総工費が膨れ上がったことで非難の的となった新国立競技場。しかし、2520億円の価値をまともに議論した形跡は見られない
写真提供:日本スポーツ振興センター

 世界にその名が知られた建築家・安藤忠雄氏は最優秀案にザハ・ハディド・アーキテクツのプラン(以下、ザハ案)が決まったと発表した席上で、「強いインパクトをもって世界に日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできるデザインである」「橋梁ともいうべき象徴的なアーチ状主架構の実現は、現代日本の建設技術の粋を尽くすべき挑戦となる」と発言している。

 意地悪く読み解けば、「いろいろ難しい問題を抱えているから失敗するかもしれないし、カネも掛かるだろうが、優秀な日本人ならきっとできる」とも聞こえる。いわゆる根性論、根拠なき展望が見え隠れするものだった。

 7月16日の記者会見の場でも安藤氏は「自分の仕事はデザインを選ぶまでだった」と述べているように、チャレンジをするのも、カネの負担を考えるのも同じ建築家ではなかったことが、騒動を大きくした。国家財政が危機だと喧伝される中での1000億円を超える追加負担。東京都にも500億円の負担を要請するなど、奉加帳の押し付け合いが繰り広げられた。

 こんなイイカゲンな議論を目の当たりにしてわき起こったのが、「2520億円は無駄遣い」という声だ。しかし計画を見直すとして、当初の予算通りの1300億円ならいいのか?コンペで提示された他の案は代替策にならなかったのか。さらに言えば、仮に当初予算の半額である650億円で、味も素っ気もないコンクリートの塊みたいなスタジアムを建設すれば、都市計画の上で禍根を残すことにはならないのか。

 議論は具体論に入れば入るほど、正解が見えてこないことに気がつく。2520億円を問題視するには、この金額に対するリアリティが圧倒的に足りないことが遠因になっているのではないか。