企業年金無用論とは、いささか刺激的に過ぎるタイトルかもしれない。だが、特に将来の給付金額を加入者に約束して企業が運用リスクを取る、確定給付の企業年金は「ないほうがいい」。また、確定拠出年金についても、企業単位で制度を用意するのは非効率的だ。

 確定給付の企業年金が企業経営にとって負担であることは、低金利と株価の低迷に苦しんだ数年前にすでに経営者たちのあいだで共有されていた認識だろう。だからこそ、厚生年金基金の代行返上が行なわれたし、基金を解散して確定拠出年金に移行した会社もあった。ほとんどの事業会社は少なくとも資産運用が本業ではない。にもかかわらず、年金の資産・負債の価値変動によって、企業価値が大きく振り回されることは合理的ではない。なお、これは確定給付の年金が持つ経済的現実であり、会計制度以前の問題だ。企業の株主や投資家から見ても、事業会社A社に投資することが、A社の企業年金の資産・負債のリスクにも投資することになるのは不自由だ。

 資産運用業の育成期には、企業年金が、プロの運用会社をチェックする別のプロとして存在することに意味があったのかもしれないが、率直に言って、企業年金の多くは運用のプロとしてこのような期待に十分応えなかった。また、加入者から見て、いまや屋上屋的なムダであることも否めない。

 もともと制度としての年金の趣旨は、1つには老後の備えに対する税制上の優遇を伴った奨励であり、もう1つには長生きの経済的リスクに対する保険である。そう考えると、いずれも、年金制度が企業単位であることになじまない。国民一人ひとりについての税制上の公的なサポートの大きさにおいて、勤務形態や所属する会社・組織によって条件が異なるというのは、国の制度のあり方としてフェアでない。この点では、そもそも厚生年金や共済年金といった制度自体が、国民間に無用の有利不利をつくっている。