「日本のヘルスケア分野は成長の余地がある」とジョン・クエルチ教授は言いきる。クエルチ教授は、1981年の初来日以来、マーケティングの専門家として花王、ソニー、トヨタ自動車等数多くの日本企業のケース教材を執筆してきた。2011年より2年間、中国・上海にある中欧国際工商学院(CEIBS)の学長を務め、日本企業と中国の橋渡し役としても活躍。現在はハーバードに戻り、ハーバードビジネススクールとハーバード大学公衆衛生大学院で教鞭をとる。授業ではタケダとキャンサースキャンという2つの日本企業を取り上げている。2つの大学院の学生は日本企業から何を学んでいるのか、クエルチ教授に聞いた。(聞き手/佐藤智恵 インタビューは2015年6月25日)

なぜ“民間ビジネス”と“公衆衛生”の
橋渡しが必要なのか

ハーバードの学生がタケダから学んだ<br />2つの重要な経営戦略 ジョン・クエルチ 
John Quelch
ハーバードビジネススクール教授兼ハーバード大学公衆衛生大学院教授。専門は経営管理、マーケティング、医療政策、医療経営。MBAおよびMPHプログラムの学生を対象とした選択科目「消費者と企業と公衆衛生」を開講し、両校で教鞭をとる。多くのケース教材を執筆し、経営学の教授法にイノベーションをもたらしたことで有名。過去35年間で売れたケース教材は約400万部。ハーバードビジネススクール史上3番目の多さを誇る。これまで25作の著書を出版。近著に“All Business is Local: Why Place Matters More Than Ever in a Global, Virtual World” (Portfolio 2012). 2016年、公衆衛生とビジネスについてまとめた新刊 “Consumers, Corporations and Public Health”(Oxford University Press 2016)を出版予定。

佐藤 今年、ハーバード大学経営大学院および公衆衛生大学院の学生を対象とした選択科目「消費者と企業と公衆衛生」を開講したばかりだそうですね。なぜ新しいジョイントプログラムをつくろうと思ったのでしょうか。

クエルチ 私自身が両校の卒業生だからです。おそらくハーバードでMBA(経営修士号)とMPH(公衆衛生修士号)の両方を取得した第1号ではないかと思います。

 2013年に中国・上海の中欧国際工商学院での任務を終えて、ハーバードに戻ってきた際、自分なりに何ができるかを考え、両校の架け橋となることを思いつきました。そこで、両校の学生向けにジョイントプログラムをつくり、ヘルスケア業界のエグゼクティブ向けにも講座も開講し、現在に至ります。

佐藤 MBAの学生とMPHの学生、あるいは、民間ビジネスに携わる人と公衆衛生に携わる人。一方は利益を追求し、一方は公益を追求する。両者の価値観は大きく異なるように思います。なぜこの2つのグループの橋渡しをしようと思ったのでしょうか。

クエルチ ビジネスパーソンが公務員の考え方を理解することは難しいですし、公務員がビジネスパーソンの考え方を理解するのも難しい。お互いに“懐疑的”な存在です。だから両者が直接議論する場を与えるのは極めて大切なことなのです。ただしこれは簡単なことではありません。

 国家公務員あるいは地方公務員の仕事は国民の生命を守ることです。国民が1人でも亡くなるリスクがあれば、それを全力で回避しなければなりません。そのため公務員は新しい製品やビジネスの認可については慎重すぎるぐらい慎重になります。多くの参入障壁を設け、起業もイノベーションもあまり歓迎しない傾向にあります。認可した製品やビジネスが原因で人が亡くなってしまうようなことがあったら、公務員としてのキャリアが終わってしまうこともあるからです。

 ビジネスパーソンは公務員とは全く違った考え方をします。たとえば1万人の命を救える新薬があったとしましょう。その新薬を投与したら、統計上、副作用等で1万人中5人が亡くなる恐れがあったとします。そういう場合、ビジネスパーソンは、多くの人々を救える可能性と利益を優先して「リスクは許容範囲だ」と考えるのです。

 こうした価値観の違いが原因で、この2つのグループが対立することが往々にしてあります。それでも両者が協力してできることはたくさんあります。その橋渡しをするのが両者の価値観を理解している私の役目だと思っています。