なぜ、「百貨店」は衰退したか?Photo by Yoshihisa Wada

「デパートで買いたい」がなくなった理由

 年が明け、2016年がスタートした。私は2012年に三越伊勢丹ホールディングスの社長に就任して以来、様々な改革を行なってきたが、今年はそれを一層加速させる必要があると考えている。新年早々だが、われわれを取り巻く厳しい状況をしっかりと直視しつつ、今後、課題を乗り越えていくための経営戦略について語りたいと思う。

 2015年11月の全国百貨店売上高は8ヵ月ぶりにマイナスになったものの、10月までは7ヵ月連続でプラスを記録していた。

 しかし、これで百貨店業界が勢いを取り戻せるなどとは思っていない。実際、2014年を振り返れば消費税率引き上げに伴う駆け込み需要と、その反動の影響があったとはいえ、売上高は前年比マイナスの状態が続き、百貨店業態の長期衰退傾向に歯止めがかかっているわけではないのだ。

 日本の小売業全体では約140兆円の売上規模がある。うち百貨店の売上高は約6.2兆円で、全体の4.4%にすぎない。バブル経済が崩壊する前の1990年頃は、10兆円近くの売上高と6%のシェアがあった。まさに「衰退の四半世紀」であったのだ。

 なぜ日本の百貨店業界はダメになったのか。

 売上高が10兆円近くもあった頃は、小売業の構造をピラミッドにたとえるならば、百貨店は、かなり高いポジションにあった。ボーナスが出たり、少しお金に余裕ができたときなどに、「デパートで買いたい」という特別な期待感をお客さまに抱いてもらえていた。

 しかし80年代頃から、いわゆる「カテゴリーキラー」と呼ばれる小売店が登場し始めた。電器店ならば「ヤマダ電機」や「ビックカメラ」「ヨドバシカメラ」。紳士服ならば「洋服の青山」や「Aoki」。軽衣料ならば「ユニクロ」や「しまむら」。お客さまは、単に価格の安さでなく、「この品質でこの価格ならば」と価格と価値のバランスでカテゴリーキラーを評価した。

 次には「スポーツオーソリティ」や「スーパースポーツ」などの、あらゆるスポーツ用品が1店で買える店が登場した。これは百貨店には太刀打ちできない業態だった。

「カテゴリーキラーたちに対抗できるのか」と悩んでいるうちに、次の波がヤングの部門に訪れる。JRの駅ビルや周辺に若者向けの専門店がつくられ、3大セレクトショップと言われる「BEAMS」「SHIPS」「UNITED ARROWS」が拡大戦略をとり始めて百貨店はさらに苦境に追い込まれた。

 かつて伊勢丹新宿本店では、20代のお客さまのシェアは20%もあった。それが今やひと桁台だ。「このテイストのシャツと、こっちのテイストのパンツを組み合わせてみたい」といった要望に応えられる、選択肢の広い、きめの細かな小売りは、セレクトショップの独壇場になっていった。

 気がつけば百貨店はどうなっていたか。どの店も同じような商品が並ぶ「同質化」に陥っていた。例えばアパレルでは、百貨店はどこも同じメーカーのナショナルブランドを扱い、さらに海外のラグジュアリーブランドを競うように導入していた。そうなると日本全国、どこのデパートを訪れても、並んでいる商品も、売り方もまるで同じという状態になった。

 カテゴリーキラーやセレクトショップにどんどんお客さまを奪われ、百貨店の売り上げは落ちる。売り上げが落ちると人件費の削減にシフトしてしまい、自社の販売員を減らし、取引先から販売員を派遣してもらうようになった。販売員は最も情報を持つ百貨店の“肝”だ。にもかかわらず情報は取引先に流れ、サプライチェーンのなかで何が起きているのかが分からなくなり、百貨店のマーケティング力はどんどん低下した。

 私たちの会社の話で心苦しいが、三越日本橋本店について言うと、2010年にコレド室町が、14年にはコレド室町2・3がオープンした。この間、ざっくり言うと入店客数は2割ほど増えたものの、売上高は微増にとどまった。

 それが意味するものは明らかで、コレド室町にいらしたお客さまが日本橋本店では買うものがないのだ。というよりは、買うものはあるはずなのに、買っていただけるような見せ方になっていない。その点を改める必要がある。