>>(上)より続く

「厳しい世界に長くいると、学歴とか“目には見えない学力”云々は取るに足らないものであることを、嫌というほどに経験します。 僕らがいるのは『そんなこともよりも、まずは実力でしょう?』という考えが徹底している世界ですから、目に見える形で結果を残さないと、話にならないのです。大切なことは、その作品をつくった時点での実力です。いかに学歴が立派であろうとも、すがるものでもないし、あがめるものでもないのです」(坂本さん)

 武笠さんも、同じようなことを答える。

「僕も、他の方の作品を観るとき、学歴を知ったとしても嫉妬することはないし、優越感も感じません。作品には嫉妬することがあるかもしれませんが。『あっ! これは面白い! やられたな……』と。やはり、大切なことは結果ですね」

 結果こそが問われる世界で生き抜く人たちにとって、“目には見えない学力”は説得力のないものに映るのかもしれない。

「なぜ……? あんなやつが受かって
おれが落ちるなんて、なぜ……?」

 会社員や学生の中には、“偏差値”の力を妄信している人もいる。筆者は10年ほど前、全国紙や通信社の記者職などを目指す学生を相手に、採用試験で課せられる「論作文」の書き方を専門学校で教えていた。全国紙や通信社の採用試験は、倍率が激しく、問題の難易度も高い。その学校には1年で数百人の学生が集うが、正規のルートからは数人しか採用試験に受からない。受講する学生は、大学別で言えば早稲田が多かった。全学生の7割を占めていたと思う。

 その多くが全国紙や通信社の試験に落ちて、出版社や広告代理店、メーカー、金融機関、大学院などに進む。これは、倍率という点から見て仕方がないことである。特に10年ほど前の、一部の全国紙・通信社の記者職は、倍率が極端に高かった。一方で、早稲田よりも偏差値がずっと低い大学の学生が、全国紙の記者職の試験に、まれに受かることがある。配点が高い「論作文」で、210点満点中190点以上をとる学生であり、縁故採用ではない。このレベルは、数百人の学生の中で数人しかいない。学生と思えないほどに、きわめて、優れ者なのだ。

 こうした学生を、全国紙以外の会社に進む、「不本意入社」の学生たちがいじめることがある。嫉妬心なのだろうか、口もきかなくなるし、飲み会にも誘わない。筆者が感じていた限りでは、その学生たちはこんなことを言いたかったのだろう。

「なぜ……? あんなやつが全国紙に入り、俺がメーカー? なぜ……?」