梅雨明け後、東京では4日連続の「猛暑日」を記録するなど、今年の夏は本当に暑いです。そもそも、「猛暑日」なる言葉は、2007年の気象庁の予報用語改正で「日最高気温が35度以上の日」として新たに定められた言葉だそうです。

 この猛暑日ですが、記録が残されている1961年から1989年まで29年間の東京都中心部のデータを調べてみると、猛暑日の年平均日数は1.55日で、うち13回猛暑日ゼロの年がありました。

 一方、1990年以降昨年までをみると、猛暑日の年平均日数は3.65日で、猛暑日ゼロの年は20年間のうち昨年(2009)を含め4回しかありませんでした。日本の夏は、統計的にも確かに暑くなっているようです。

なぜ夏に、環境問題は
盛り上がらないのか?

 また、この時期はエアコンなどの需要で消費電力が年間で一番大きくなる時期です。「猛暑×消費電力増」とくれば、日本人得意の「地球温暖化×省エネ」へと話が展開し、この時期は1年を通じて一番環境の話題で盛り上がりそうですが、現実はその真逆です。

 この時期、われわれが快適な生活を送れるのは、エアコンのおかげと言っても過言ではないでしょう。エアコンがあればこそ仕事も勉強もはかどりますし、熱帯夜でも熟睡ができるのです。また、各メディアの気象情報でも、高齢者や子どもの「熱中症」の予防対策として、エアコンの使用を奨励しています。

 しかし、エアコンの利用は、第13回でも書いた通り、「エコバック」と「省エネ」という日本人の二大環境行動の「省エネ」に抵触するものです。環境意識を持つ多くの日本人が、エアコンの恩恵を感じている一方で、同時に省エネに反する行動に罪悪感を覚えているのです。その結果として、日本人はこの時期、むしろ環境の話題を避けて通る傾向にあるように思えてなりません。ある意味、「エコ疲れ」と言ってもいいかもしれません。

 これまで、日本人の環境行動は、「環境にいいことをしよう」的な、「人の善意に訴えかけること」で、誘発されてきた点は確かに否定できないと思います。しかし、こうした「人の善意に訴えかける環境行動」は、「背に腹はかえらない」日本の猛烈に暑い夏には向かないようです。まさに「善意に訴えかける環境運動の限界」を露呈したかたちです。

猛暑とエアコンの関係から
見えてくるもの

 快適な生活をいったん手に入れると、なかなか後戻りはできません。この猛暑のなか、エアコンのある生活から、扇風機の生活に戻ることは容易にできるものではないでしょう。より快適な生活を望むのは人間の性であり、いったん手に入れた快適なライフスタイルには、不可逆性があるからです。

 しかし、こうした人の性やライフスタイルの不可逆性があったからこそ、さまざまな分野において技術革新(イノベーション)が進んだとも言えます。そう考えてみると、本来であれば環境問題の議論をするにふさわしい夏場にこの話題を避けて通るのではなく、「日本の夏はエアコンなしでは過ごせない」という現実と向き合うことで、環境問題を真正面から受け止めるべきだと思います。

 猛暑とエアコンの関係を考えてみましょう。そうすると、2つの大きな問題にまず直面します。1つはエアコンの室外機から出る温風によるヒートアイランド現象の問題であり、もう1つは停電が起こらないよう、その時期の最大需要に合わせてつくられるエネルギーの問題です。