「日本は、外国からの影響を自らの経験の一部とする。外国の影響のなかから自らの価値、信条、伝統、目的、関係を強化するものだけを抽出する。その結果は混合ではない。15世紀や18世紀の日本画が示すように、一体化である。これこそが、真に日本に固有の特性である」(『日本 成功の代償』)

 ドラッカーは、日本は導入した文物を急速に消化し、改善するという。筆づかいの巧みさにおいて、15世紀の山水画家・雪舟に肩を並べる者は、中国にはほとんどいない。企業組織と経営技術において、日本の大商社に肩を並べうる企業も、欧米にはほとんどない。

 その日本が、仏教と中国の文物が洪水となって入ってきた6世紀、世界に門戸を開いた19世紀を超えるスケールで、外の世界と一体化しつつある。

 ドラッカーは、日本が今後とも、外国の非日本的な文化、行動、倫理、美意識を吸収し、日本的なものに変えていくことを期待する。

 歴史上、ほとんどあらゆる非西洋の国が、自らの西洋化を試みて失敗した。ところが日本は、明治維新では、西洋化を試みなかった。ドラッカーは「日本が行なったのは西洋の日本化だった」と言う。だから成功した。

「私は、日本が歴史上繰り返し行ってきたことを再び行うよう望む。今日世界は、近代的であると同時に際立って非西洋的な文化を必要とする。世界は、ニューヨークまがいやロサンゼルスまがい、あるいはフランクフルトまがいの日本ではなく、日本的な日本を必要とする」(『日本 成功の代償』)