大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きするのがテーマだ。今回は宮澤政権下、バブル崩壊初期の状況を検証していく。(坪井賢一)

 1993年8月9日、日本新党の細川護熙を首班とする非自民連立政権(社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、連合参議院の8党会派連立)が誕生した。じつに38年ぶりの政権交代劇だった(連載第6回参照)。

 その後、政党の合従連衡の果てに民主党、国民新党、社民党連立政権が誕生したのは2009年9月だが、自民党政権の最初の崩壊だった1993年8月が基点になったといえよう。新生党の小沢一郎、さきがけの鳩山由紀夫、菅直人など、主な登場人物は現在も17年前も変わらない。

 当時、内閣不信任案を可決されてしまった自民党の宮澤喜一政権(1991年11月5日-1993年8月9日)の時期が、日本のバブル崩壊不況(失われた15年)の初期を形作ったのである。

国民がバブル崩壊を感じはじめたころ
宮澤政権は誕生した

 宮澤政権が誕生した1991年11月は、どのような経済情勢だったのだろう。日経平均株価はバブルの頂点、1989年12月末に3万8915円に達していたが、年が明けて市場が開くとすぐに下落をはじめた。日本銀行は遅まきながらバブル退治に乗り出し、3月には公定歩合が引き上げられた。株価はどんどん下落する。1年遅れて1991年初頭には地価も下落をはじめた。国民はうすうすバブル崩壊を感じはじめていた。

 野口悠紀雄・一橋大学教授(当時、現早大教授)が、「バブルで膨らんだ地価」(「週刊東洋経済別冊・近代経済学シリーズ」1987年11月)で経済学者として初めて「バブル」と表現してから4年、「バブルとその崩壊」は日本人の口にのぼり、悲観的な記事も目立ち始める。

 このころ、不気味な経済事件が頻発していた。前年(1990年)にイトマン事件が発覚し、宮澤政権発足の4か月前、1991年7月にイトマン経営者ら6人が逮捕された。闇の世界に巨額の資金が流れていった事件だ。奇怪な登場人物と一流企業経営者の関係に世間は驚愕した。