歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。

 日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。特別に本書の中から、早川教授が診断した、新たな織田信長像を紹介したい。

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織田信長(1534~1582 年)
【診断・考察】情性欠如型人格障害・タイプA行動パターン

 科学の世界では、重要な発見が複数の施設からほぼ同時期になされることがある。「ネイチャー」や「サイエンス」などのトップジャーナルに同じ発見を背中合わせ(いわゆるback to back)で報じる論文が出るのを見ると、編集者が掲載時期を操作しているのかとも思えるが、本当に独立して同時発見がなされることは珍しくない。ユング派の精神医学者ならば「集合的無意識」で説明するかもしれないが、実際のところ、先行論文に加えて研究者間の未発表情報で、何が重要か分かっていれば、同じくらいの能力と経験のある複数の研究者が同じ結果を得ることはそれほど不思議ではないのだろう。梅棹忠夫氏が名著『文明の生態史観』で指摘しているように、歴史の世界でもユーラシア大陸の東端の日本と西端の欧州がパラレルに動いていることに驚かされる。

 日本史の中で、近世を切り開いた英雄というと織田信長である。

 中世の秩序を半ば暴力的に倒し、勃興する商業経済をさらに飛躍させたこと、美貌の妹を政略結婚の具として隣国の領主に嫁がせ、用がなくなると容赦なく切り捨てたこと、国家統一を目前にして謀反に倒れたことなど、イタリア・ルネッサンスの梟雄チェーザレ・ボルジアに共通するものを感じる。

 信長もチェーザレも理想のためには手段を選ばず、政敵や敵対者を躊躇なく抹殺した。信長は謀反を繰り返す弟・勘十郎信行を清洲城で自らの手で謀殺、有名な比叡山延暦寺の焼き討ちや、伊勢長島の一向宗門徒の虐殺、長年家老をつとめた佐久間信盛や林道勝ら無能な家臣の追放など、いかに戦国時代とはいえ、無情な振る舞いが多い。徳富蘇峰は「信長の性格は心理学上の謎と云わねばならぬ。(中略)不正を憎み之を懲罰するを以って、宛も一種の愉快としたらしく思われた」としており、サディズムがあったのではないかと王丸勇教授は指摘している。