橘玲の世界投資見聞録
2017年1月19日 橘玲

メキシコ国境の先にある「世界でもっとも危険な街」と
トランプ新大統領の主張の前にできていた「国境の壁」
[橘玲の世界投資見聞録]

「国境の壁」はすでにできていた

 その翌日は、メキシコとの国境を一望できるシーニックドライブの展望台に行った。ここはエル・パソの北に位置する小山で、写真の中央部に真っ直ぐに走る線がリオ・グランデの国境だ。このあたりはエル・パソの高級住宅地で、見晴らしのいい高台にはアーリーアメリカン調の白い豪邸が並んでいる。

シーニックドライブからメキシコとの国境を眺める。右下の白い十字の建物はテキサス大学エル・パソ校                                               (Photo:©Alt Invest Com)
こちらはエル・パソの東側の国境                                (Photo:©Alt Invest Com)
山上に掲げられたアメリカの国旗とテキサス州の旗             (Photo:©Alt Invest Com)

 リオ・グランデはコロラド州のロッキー山脈を水源とし、まっすぐ南下したあとに東へと進路を変え、メキシコ湾へと注ぐ。エル・パソでニューメキシコ州からテキサス州に入るが、ここから川の中央がアメリカとメキシコの国境になる。エル・パソから西へはニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの3つの州があるが、ここでは平原や砂漠、山岳地帯が国境だ。

 Google Earthで確認したところ、壁はエル・パソから西側の国境につくられているようなので、町の西隣にあるサンタ・テレサSanta Teresaに行ってみた。エル・パソの国境は地元のひとたちの交流が主だが、こちらは大型トラックが行き来する物流の拠点だ。

 メキシコに向かう幹線道路から外れて国境に近づくと、下のような黒いフェンスが現われる。高さ5メートルほどで、それがえんえんとつづいている。これを「壁」と呼んでいいのなら、トランプの主張のずっと前にすでに国境の壁はできていたのだ。

メキシコとの国境に設置された「壁」ならぬフェンス       (Photo:©Alt Invest Com)
エル・パソから西にえんえんとフェンスがつづく           (Photo:©Alt Invest Com)

 調べてみると、このフェンスは9.11後のブッシュ政権下で2006年から建設が始められたもので、エル・パソ以西のおよそ1000キロを対象にしている。エル・パソからは国境沿いの9号線を車で西に走ったのだが、平原のはるか先にフェンスがあるのが見える。ノガレスやティファナといった国境の町も、Google Mapで確認すれば「壁」によって区切られていることがはっきりわかる。

 アメリカとメキシコの国境は長大で(3141キロもある)、なおかつ国境沿いにはほとんどひとが住んでいないところも多いので、不法移民の流入を防ぐことはほぼ不可能だった。移民たちはその後の移動が有利なように、できるだけ都市の近くで国境を越えようとするが、都市周辺の国境警備が厳しくなったことで、フェンスを設置できないアリゾナ州のソノラ砂漠や山岳地帯からアメリカ側に入るようになった。その結果、熱射病、脱水症状、低体温症などで死亡するケースが続出し人権問題になっている。――もっとも最近のアメリカでは、こういう議論はあまり関心を呼ばないようだ。

 トランプのいう「万里の長城」がどのようなものか定かではないが、現在、設置できていない砂漠や山岳地帯までフェンスを延長しようとすれば相当な難工事が必要になるし、エル・パソ以東のリオ・グランデは満足な道路すらない地域の方が多い。このような辺鄙な場所では不法移民が国境を越えてもその後の移動が困難だから、「壁」をつくる意味があるかは疑問だ。

 メキシコとの国境を不法に越える移民がどれほどいるかは諸説あるが、国境警備隊U.S.Border Patrolによれば2006年時点で年間100万人を超えていた逮捕者が現在は年間50万人程度まで減っており、国境警備の強化に一定の効果があることは間違いない。しかしアメリカ=メキシコ国境の(合法的な)往来は年間のべ3億5000万人にのぼり、国境警備で数十万人の不法移民を逮捕したところで大海の一滴の感はぬぐえない。

「壁」が麻薬の密輸防止に有効だとの声もあるが、メキシコの麻薬カルテルは潤沢な資金で国境を越えるトンネルを掘っており(すでに何本も発見されている)、あるいは沿岸警備隊も追いつけない高速艇で麻薬と現金を運んでいるから、「万里の長城」はやはりあまり役に立たないだろう。

不法移民でも、子は自動的に「アメリカ市民」

 私がエル・パソの国境で見たように、膨大な数のひとたちが日々メキシコからアメリカへと入国している。彼らはさまざまなビザで合法的に入国するが、ビザで定められた期間を過ぎても出国しないと「不法」移民になる。

 そのうえアメリカは国籍が出生地主義で、不法移民同士の夫婦が国内で子どもを産めば、子どもは自動的にアメリカ市民になる。その後に両親が不法に滞在していることがわかっても、アメリカ市民の子どもを親といっしょに強制退去させることはできず、子どもが幼ければ人道上の措置として親の滞在も認めざるを得ない。

 たまたま今日の朝日新聞(1月19日付朝刊)に「おびえる「ドリーマー」不法移民の若者 米から送還の可能性」というタイムリーな記事が出ていたが、幼いときに両親に連れられて米国に来た子どもは、そのまま米国で育ち、大学を卒業しても、親の離婚など不慮の出来事で市民権を喪失してしまう。こうした若者が「ドリーマー」と呼ばれ、その数は72万人を越えるという。移住後に生まれた彼らの弟妹は、もちろんアメリカ市民だ。

 アメリカでは彼らドリーマーの扱いが政治問題になっていて、過去には永住権に道を開く法案も議会に提出されたが、不法移民への恩赦につながるとして成立していない。そこでオバマ大統領は、「どの点から見ても事実上の米国人である若者たちを追放することに意味はない」として、大統領権限で彼らの滞在を認める措置に踏み切った。

 トランプはこの特例の撤回を公約しており、これは大統領権限なので、議会の承認なしに実行できる。ドリーマーは自ら不法移民であることを表明し、住所など個人情報も政府に提供しているから、それを利用して強制送還すれば国家による「だまし打ち」と同じだ。

 トランプが移民政策を厳格化すれば、家族が離れ離れになったり、アメリカに住む親や子どもに会うことすらできなくなったり、ごくふつうの「アメリカ人」として生きてきたひとが人生を奪われるような理不尽なことが頻発し、ヒスパニックの有権者(アメリカ市民)は黙っていないだろう。ヒスパニック人口の多いアメリカの州では、彼らの支持がなければ当選できない選挙区がいくらでもあるのだから、移民政策の厳格化はアメリカ各地で社会の分断と政治的混乱を引き起こすことにちがいない。

 いずれにせよ「国境の壁」はすでにつくられており、それを「万里の長城」に拡張しても移民の流入を止めることはできず、莫大な予算を投入してもほとんど効果のない「壮大な愚行」となる可能性が高い。もっとも、トランプを大統領に選んだアメリカ人がこの愚行を実現したとしても驚きはないが。

平原の向こうがメキシコとの国境。拡大するとフェンスがつづいているのがわかる     (Photo:©Alt Invest Com)

 

 

橘 玲(たちばな あきら)

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。近刊『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)が30万部のベストセラーに。

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