テレビ・新聞が「尖閣ビデオ」の犯人探しで喧しい。

 朝から晩まで、「どこから漏れた」、「誰が漏らした」かで大騒ぎである。日本のマスコミはいったい何をやっているのだろうか。もはや呆れるというよりも、相変わらずの記者クラブメディアの勘違いぶりを微笑ましくさえ思ってしまう。

 いとも簡単に官僚たちのスピンコントロールに乗っかるメディアを持って、日本政府はじつに幸せである。海外の政治家たちがこの状況を知ったら、さぞかし羨ましがることだろう。

 世界中探しても、政府と一体となって、貴重な「情報源」を探し暴こうとしてくれるメディアはそう多くはない。菅政権は、優秀なスピンドクターである記者クラブの存在をもっと大事にした方がいい。これは親身なアドバイスである。

権力監視は万国のジャーナリズム
共通の存在意義であるはずだが

 世界には様々なメディアが存在し、様々な分野を担い、それぞれがそれぞれの方法で情報の伝達を繰り返している。

 政治、経済、社会、科学、芸能、スポーツ等々、あらゆる分野で多くの記者たちが、それぞれの取材によって真実を伝えようと日々の努力を繰り返している。

 そこに法律など存在しない。あるのはテレビ、新聞、ネット、雑誌などそれぞれのメディアが独自の自由な方法によって、読者や視聴者に情報を伝えようとしていることだけだ。

 とはいえ、権力報道においてだけは例外だ。そこには世界共通のジャーナリズムのルールが存在している。

 ジャーナリズムの最低限の役割は、権力監視、換言すれば、政府の隠そうとする事実を暴き、国民の知る権利に応えようとすることである。