先日、私の執筆した書籍をお渡ししていた資材メーカーのAさんが会社へ来られ、お話をする機会があった。「先生からいただいた本に感銘しています。特に、“診断はサイエンス、治療はアート”ってところ、ありますよね。仕事でも参考になりますよ」とAさん。「そうですね。でもあの言葉は職場の先輩の先生の受け売りなんですよ」と私。

 T市民病院へ赴任して5年目のある日の外科病棟。「残念ながらただいまをもちまして死亡を確認しました」とご臨終を申し伝える私。「お父さん、本当によくがんばりましたね」と枕元で手を握り締め、語りかける涙目の奥さん。肩を落とした息子さんも横にいる。

 私は詰め所へ戻り、死亡診断書作成のため、机に書類を並べながらあることが気になっていた。数日前の症例検討会、「当院は最先端医療を目指している病院です。年間の手術件数とともに病理解剖件数も病院の評価の対象です。日々、業務の中で死亡診断書作成時、病理解剖が必要と感じたときは、必ず、ご家族にお願いしてみてください」と病院長。執刀医として長年お付き合いした患者さんの解剖ほど辛いものはない。しかし、手術をして結果的にガンの再発や、想定外の死を遂げた患者さんの死の原因を明らかにすることなしで、外科学の進歩はない。

 私は、ペンを持ち死亡診断書に眼をやった。

 死亡原因(1)、原因(1)をもたらした原因(2)、原因(2)の原因(3)と記入欄、さまざまな疑問がわいてくる。ガンに対してはマイクロ波や塞栓療法が功を奏したのか。ガンはどこへ広がり、何が直接死をもたらすことになったのか、患者さんの痛みの原因は、と考えているうちに死亡診断書の下段にある解剖所見という文字に目が留まった。その直後、「奥さんを面談室へお呼びしてください」と担当の看護師に私は声をかけた。

 数分後の面談室。

「奥さん、このたびは誠にご愁傷様です。Iさんよくがんばられましたね。これから死亡診断書を作成いたしますが、死亡原因を詳しく記入しなければなりません。また今までの治療がどれだけお役に立てたのか、効果的な治療法は他になかったのかなど調べたいのですが、ご遺体の解剖をお願いできないでしょうか」と。

 私の言葉の中で最後の“解剖”でびっくりされた様子の奥さん。

 「いえいえ、解剖しなくても死亡診断書は作成できます。お断りいただいて結構です」と言葉を付け加えた。

 数分後、息子と相談するからと病室に戻っていた奥さんが詰め所にいらっしゃった。「主人は先生の言うこと、しっかり聞けって言ってましたし、何かのお役に立ちたいとも話していたので解剖お願いします」と。先ほど奥さんの顔にあった硬い表情は取れていた。