近年、書店の人文・思想書エリアから枠を広げビジネス書の売り場でも大きく展開されることが多くなってきた哲学書。万人に共通する「答え」のない現代社会において、自己を見失わないための指針として哲学者達の言葉に心を寄せるビジネスパーソンの読者が増えているようだ。特に、職場での不条理な場面や挫折において励みとなるのは“生きる意味”を追求した「実存主義哲学者」たちの教えである。実存主義哲学を唱えた代表的な哲学者は日本人にも馴染み深いニーチェ他、ショーペンハウアー、キルケゴール、ハイデガー、ヤスパース、サルトルなど。実存主義哲学を代表する哲学の巨人たちが説いた教えと、いま一度向き合ってみてはいかがだろうか。

自己犠牲の精神はただの戦略的道徳?「奴隷道徳」

社畜にならないための「実存主義哲学」の教え原田まりる(はらだ・まりる)作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター 1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。 著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある  撮影:榊智朗

 哲学者ニーチェは、我々がなんの疑いもなく信じ込んでいる道徳心や自己犠牲の精神は都合よく作られた「奴隷道徳」である可能性があるとして警鐘を鳴らしている。

 ニーチェは要領がよく自分勝手でいい思いばかりしている者は「悪」であり、報われなくとも努力を続け自己犠牲の精神を持っている者は「善」である、という風潮に疑いを向けた哲学者であった。

 強者は時として「悪」とみなされ、弱者が「善」であるとされる風潮がつくられた裏側には、弱者こそ「善」であると形式づけたほうが都合良いと考えた人々による、戦略的道徳である可能性もある。既存の価値観にこそ疑いの眼差しをむけてみるべきだと、ニーチェは説いており弱者であることに美徳を持ち、強者を蔑む人々の風潮を「奴隷道徳」であると唱えている。

 自己犠牲の精神を美しいとしたほうが、都合がいいと考えた人による道徳がある、と聞くとなるほど。ブラック企業の経営者が容易にイメージ出来る。

欲望には終わりがない?
「欲望は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が乾くのだ」

 また哲学者ショーペンハウアーは欲望を海水に例え、このように表している。

 ショーペンハウアー曰く、人間は常に「苦悩」と「退屈」の間を行ったり来たりするものだと唱えている。

 どういうことかというと、人間は終わりのない欲望に駆り立てられており、何か欲望が芽生えると、その欲望が満たされるまでの間「苦悩」に苛まれる。しかし、芽生えた欲望が満たされてしまうと次第に飽きがきて徐々に「退屈」を覚えてしまうのだ。そしてまた「退屈」をしのぐために欲望が芽生え、再び「苦悩」が始まってしまう。

 このように人生とは苦悩と退屈の間をいったりきたりする振り子のようなものだ、とショーペンハウアーは説いておりその原因となっているのは、「欲望」だという。

 芽生えた欲望は満たすことによって、鎮火ものではなく一度静まったと思いきや、もっと強度の強い欲望が芽生えてくるものなのだ。

「欲望は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が乾くのだ。」という言葉で表されている通り欲望には終わりがない。

 満たされないからといって欲望に振り回されても意味はない。満たされたとしてもすぐに枯渇してしまうものだと理解した上で、嗜むものなのだ。

「人生の意味」を追求した哲学者たちの教えが詰まった「実存主義哲学」

 近年、哲学議論の中心といえばポストモダンであったが、現代人にいま最も必要なのは「世の中の不条理や、挫折とどう向き合い乗り越えていくか。」「人生においてどのような意味を追求するのか。」が議論の主軸となっている「実存主義哲学」ではないだろうか。

 実存主義哲学は学ぶことにより頭が重くなるのではなく心を軽くしてくれる、現代のビジネスパーソンにとって処方箋的な役割を果たしてくれるだろう。