小池百合子都知事が「夜8時には完全退庁を目指す」、日本電産の永守重信社長が「2020年までに社員の残業をゼロにする」など、行政も企業も「残業ゼロ」への動きが急加速している。
電通過労自殺事件で強制捜査が入ったいま、中小企業も大企業もお役所も「残業ゼロ」に無関心ではいられない「シビアな時代」となった。
株式会社武蔵野は、数十年前、「超ブラック企業」だった。それがいま、日本で初めて日本経営品質賞を2度受賞後、2014年からの残業改革で「超ホワイト企業」に変身した。
たった2年強で平均残業時間「56.9%減」、1.5億円もの人件費を削減しながら「過去最高益」を更新。しかも、2015年度新卒採用の25人は、いまだ誰も辞めていないという。
人を大切にしながら、社員の生産性を劇的に上げ、残業を一気に減らし、過去最高益を更新。なぜ、そんなことが可能なのか?
『残業ゼロがすべてを解決する――ダラダラ社員がキビキビ動く9のコツ』の著者・小山昇社長にその秘密を語ってもらった。

「ダスキン事業部」=「ブラック事業部」!?

なぜ、残業は犯罪なのか?小山昇(Noboru Koyama)
株式会社武蔵野代表取締役社長。1948年山梨県生まれ。日本で初めて「日本経営品質賞」を2回受賞(2000年度、2010年度)。2004年からスタートした、3日で108万円の現場研修(=1日36万円の「かばん持ち」)が年々話題となり、現在、70人・1年待ちの人気プログラムとなっている。『1日36万円のかばん持ち』 『【決定版】朝一番の掃除で、あなたの会社が儲かる!』 『朝30分の掃除から儲かる会社に変わる』 『強い会社の教科書』 (以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。
【ホームページ】http://www.m-keiei.jp/

 今だから明かせますが、1990年代の武蔵野は、漆黒暗黒の超・超・超ブラック企業でした。

 社員の久木野厚則(ITソリューション事業部長)と小林哲也(ダスキンクリーンサービス事業部長)は、入社早々、わが社の企業体質に「目を疑った」と言います。

「武蔵野へ面接にきた日のことは、今でも鮮明に覚えています。ダスキンの会社なのに驚くほど会社が汚くて(笑)、玄関の脇で5、6人の社員がたむろしていて、みんな頭に剃り込みが入っていたんです」(久木野)

「入社初日にやらされた仕事が、ライバル会社を『尾行すること』でした(笑)。ライバルの営業マンが武蔵野のエリアに入ってきそうになったら、『向こうに行け』と言う(脅す)のが仕事です」(小林)

 久木野と小林が入社時に配属された「ダスキン事業部」の別名は、「ブラック事業部」でした。

「週休2日、9~17時」の求人広告を出していたものの、実際には、コンビニエンスストア「セブンイレブン」開店当初の営業時間(7~23時)を超えた勤務体系で、「週休1日、午前7~翌1時勤務」状態だったからです。

 アルバイトで入社した久木野は、すぐに「ブラック事業部」の洗礼を浴びました。

「1日に訪問するお客様の数が、尋常ではなかった。多いときで、『1日に170軒』も回らされましたから……。
 同業他社の中には、1日に10~20軒しか回らない営業マンもいたので、それを考えると、武蔵野は正気の沙汰ではありません(笑)。『週休2日、9~17時』だと思って入社したのに、朝7時に出社して、夜中の1時頃家に帰る日もしょっちゅうでした。
 その後、ルートセールスから新規部門(インターネットのプロバイダ部門)に異動になったときは、『これでやっと深夜残業がなくなる』と思っていたのに、まったく逆でした。会社に泊まり込む日が続いた。布団なんてありませんから、ダンボールを床に敷いて寝ていました」(久木野)

 バンドを組み、ロックスターを夢見ていた小林は、音楽事務所の解散を機に、武蔵野で働くことになりました。

ギターをホウキに持ち替えた小林は、わが社で「気合と根性の本当の意味を知った」と言います。

「武蔵野に、夢はなかったですね(笑)。上司の指導はそれはもう丁寧で、私が質問をすると、返ってくる答えはいつも、『うるせぇ、やれよ!』でした(笑)。
 辞めていくスタッフもたくさんいましたが、『辞める』ことが先輩に知れると何をされるかわからないから(笑)、みんな『逃亡』していました。
 要するに、夜逃げです。
 ただ不思議と、私は辞めようとは思わなかったですね。当時の武蔵野には、部活の延長みたいなノリがあったし、辞めずに残っている社員の一体感も強かったので、勤務時間が長くても、面白かったです。社長が率先してライバルを潰しにいく会社なんて、なかなかないですから」(小林)