(1987年12月、上海)

 大躍進政策の失敗と、それに続いた文化大革命の混乱は、この国の民に外へ目を向ける余裕を与えてはくれなかった。長年閉ざされたまま無菌室の様な状態を保持しており、外国人と接触することには神経質なほど気を遣っていた。

 国家の領袖であるトウ小平が、経済の建て直しを目指して推し進める『改革開放』が声高に叫ばれているこの時期でも、中国人学生が留学生宿舎を訪れるには学生証を提示して訪問台帳に記帳しなければならないし、会えるのも談話室に限られていた。

 そんな堅苦しさを嫌ったのか、それとも人目を気にしたのか、立芳が待ち合わせに指定したのは、大学の裏にある長風公園だった。

 隆嗣は大学の裏門を出て、賑やかな通りに足を踏み入れた。ここは長風公園に通じる、いわば公園門前町の小路で、個人商店が許可されている場所だった。

 屋台に靴下や革ベルトを並べて売っている店、「ヤンロウ、ヤンロウ(羊肉)」と叫びながら団扇で練炭に風を送っている串焼き売りなど、色々な屋台が軒を連ねて商売に勤しんでおり、その前を多くの人々が行き交っている。家族で出掛ける場所といえば、映画か公園くらいしかなかった娯楽の少ないこの時代、子供の手を引いた家族連れなどで、この小路も結構繁盛していた。

 学校の食堂に飽きると顔を出していた鍋貼(焼き餃子)店の婆さんが声を掛けてくる。

「今日は食べていかないのかね」

「ああ、そのうちにまた寄らせてもらうよ」

 今日ばかりはリーバイスのジーンズにダウンジャケット。朝から髭も剃ってきたし、コンバースのスニーカーもまずまずだろう。そんな隆嗣を見咎めたジェイスンは何処へ行くのかとしきりに尋ねたが、口を割らずに宿舎を抜け出してきた。

 公園の入口に辿り着くと、先に来ていた立芳が隆嗣の姿を認めて手を振って迎えてくれた。今日の彼女の装いは腰紐で前を閉じた真っ白なコートに紺色のパンツ、襟には昨夜の出会いを思い起こさせる真紅のマフラーを巻いていた。

「ごめん、待たせてしまったかな」

 そう言いながら腕時計に目を落とすと午前9時55分、約束の5分前だ。

「イータンに会えるのが楽しみで、早めに来てしまったの。気にしないで」

 その言葉に隆嗣は舞い上がった。