仕事の「高度な専門化」に隠された「危うさ」

 “原子力への愛”。これは、九州電力の「やらせメール」の動機について九電の社長が記者会見で漏らした言葉です。九電の原子力部門の社員は原子力に愛情を持っていて、それがやらせメールを送る動機の一つになったというのです。

 技術者が自分の専門分野に愛情を持って技術の追求をしていく、そのこと自体は一般論として肯定的に捉えてもいいでしょう。しかし、経営者の立場、マネジメントの観点からみると、専門家が技術の追求をしていくことには、大きな危険性が伴います。

 専門化した技術の追求の危険性に警鐘を鳴らしていたのが、マネジメントの父、P.F.ドラッカーです。ドラッカーは半世紀以上も前に著書『現代の経営』の中で「専門化した仕事にひそむ危険性」と題し、次のように指摘しています。

マネジメントのセミナーでよく取り上げられる話に、何をしているかを聞かれた三人の石工の話がある。一人は「これで食べている」と答え、一人は「国で一番の仕事をしている」と答え、一人は「教会を建てている」と答えたという。
もちろん、第三の男があるべき姿である。第一の男は、一応の仕事をする。報酬に見合った仕事をする。問題は第二の男である。職人気質は重要である。それなくして立派な仕事はありえない。
(中略)
もちろん、機能別の専門家が、そのスキルにおいて高度の水準に達し、国で一番の石工になるべく全力を尽くすことは絶対的に必要である。
(中略)
しかし機能別の専門化した仕事において、専門的なスキルを追求することには危険が伴う。ものの見方や努力を事業の目標からそらすおそれがある。機能別の仕事それ自体が目的となる。
(中略)
この危険は、今日進行しつつある技術の変化によってさらに大きくなる。