「書籍オンライン」上で「おもてなしとは命を張ること」と言い切り、ホテルで日本刀を振りかざした男と対峙。日本一のクレーマー地帯でグループ売上日本一を記録した伝説の支配人で、『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』著者の三輪康子氏。「書籍オンライン」の連載は、異例の累計100万PVを超えた。
一方、21歳で単身アメリカに渡って以降、ヒルトン、プラザホテル、リッツ・カールトンなど超一流ホテルでホテルマンとして35年。1994~2009年まで、リッツ・カールトン大阪、リッツ・カールトン東京の開業に尽力。このたび『リッツ・カールトンとBARで学んだ高野式イングリッシュ』を著した高野登氏。
日本を代表するスーパーホテリエが「マネジメント」と「コントロール」の違い、半歩先の「相場観」、三輪康子氏の今後など、本では書けなかった話を一挙に語る。

支配人だからといって、スタッフを支配してはいけない

高野:三輪さんは、とてもスタッフを大切にされていますね。三輪さんにとって、「困っている人と向き合うこと」が快適さであり、「スタッフを物のように扱う」ことが不快なのでしょう。はたから見たら、「三輪さんは、いつも苦しそうなことをしている」と思われているのかもしれません。でも、じつは違う。三輪さんにとってみたら、それをしないほうが苦痛なんですよ。

前リッツ・カールトン日本支社長<br />vs“歌舞伎町のジャンヌ・ダルク”<br />スーパーホテリエ初対談!【後篇】
高野 登(Noboru Takano)
1953年、長野県戸隠生まれ。前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長。日本ホテルスクール卒業後、単身アメリカに渡り、20年間、ヒルトン、プラザホテルなどで活躍。1994~2009年、日本支社長として、日本にリッツ・カールトンブランドを根づかせる。
三輪 康子(Yasuko Miwa)
日本一のクレーマー地帯で先頭に立って部下を守りながら、モンスタークレーマーを体当たりで受け止め、次々ファンに変えた伝説の名物支配人。警察から「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」と尊敬をこめて呼ばれ、感謝状が贈られた。 

三輪:「お客様の気持ち」をわかるためには、「スタッフの気持ち」をわからなければいけないと思います。スタッフを飛び越えて、「お客様だけを見る」という考えは、私の中にはないんですね。

高野:スタッフをはじめ、それだけ多くの人を守ろうとした三輪さんですから、さぞ、人気者だったでしょう?

三輪:それはもちろん、人気者です!(笑)。自画自賛です。ただ、いまにして思うのは、私が守ってきたつもりで、じつは「私が守られていた」ということなんです。本当にたくさんの人に支えていただきました。

高野:それもまた、原理原則なのでしょう。与えれば、与えられます。自分が出したものは、回り回って、必ず自分のところに戻ってくる。「かけた情けは水に流せ」という言葉がありますけど、流したつもりでも、また自分のところに戻ってくるわけです。

三輪:もちろん、日本刀を振り回されれば、血の気が引く思いをします。「ここで命が終わるかもしれない」という瞬間を味わい、そのときの記憶は、いまもはっきり覚えています。でも、スタッフを矢面に立たせるわけにはいきませんよね。「私がやらなきゃ、誰がやる!?」と思えば、必死になります。

高野:スタッフを守りたい一心で、無我夢中になって……。

三輪:スタッフが危ない思いをするくらいなら、「私が危ない思いをしなきゃ」と、ただそれだけなんです。そこで命を落としてもいいと思っていましたから……。私が逃げてしまい、スタッフがもしケガでもしたら、そのほうが私は後悔します。だからよく警察からは忠告されました。「三輪さん、そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないよ」って。

高野:まるで、武士の魂ですね。

三輪:それだけ私にとっては、スタッフが大切でした。ですから、スタッフを上から締めつけたり、支配しようとするのはおかしいと思っているんです。