「ボーダレスに活躍する日本人起業家」を取り上げる本連載ですが、今回と次回に続く2回は、東京を拠点に世界で活躍するマレーシア人起業家・アクマル・アブ・ハッサンさん(42歳)に語っていただきます。来日して20余年、日本人の女性と結婚し、おやじギャグまで自然に口を突いて出るアクマルさん。周囲の人は彼を「日本人以上に日本人」であると口を揃えます。

現在、アクマルさんが取り組んでいるのは、ハラルの普及。「ハラル」とは、もともと「イスラムの戒律を守るもの」という意味ですが、彼が目指すのは「すべての人に優しいもの」としてのハラル。「ハラル・ビジネスを通して日本の農業や畜産業、ひいては全国各地の観光産業を元気にしたい」。流暢な日本語でそう語るアクマルさんの情熱の秘密に迫ります。

「どんなに努力しても、日本人にはなれない」

「ハラル」で日本を元気にする(1)<br />「日本人以上に日本人」な男の挑戦毎回、満員御礼の講演会でも純和風のおやじギャグを連発するアクマルさん。

 ――どんなに努力しても、日本人にはなれない。

 僕の行動の原点はそこにある。

 19歳で留学生として来日してから、今年で23年になる。日本語もずいぶん上達して、もう「日本語がお上手ですね」とは言われなくなったし、日本人の妻とのあいだには今年で11歳と12歳になる二人の息子がいる。好きな作家は大前研一さんと榊原英資さん、好きな料理はサンマの塩焼きとしゃぶしゃぶ。最近では、新橋界隈で飛び交っているようなおやじギャグまで難なく言えるようになったせいで、ビジネス仲間からは「おまえ、日本人か?」と突っ込まれることさえある。

 それでも、僕は自分が日本人にはなれないとわかっている。僕はどんなに日本語がうまくなろうが、どれほど長く日本に住もうが、どこまで行ってもマレーシア人で、イスラム教徒だ。

 そんな僕が担うべき役割とは何だろう?

 留学先の群馬大学を卒業した後、東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)で為替ディーラーとして勤務し、マレーシアに帰国後は7年間、当時の首相マハティール氏の「ルック・イースト政策(注1)」のもと、日本の経済産業省に相当する省で官僚として経済政策に取り組んだ。日本の一企業のために働いた時期もあれば、母国のために働いた時期もあったわけだ。

 マレーシアの政府職員として大阪に勤務していた2005年、任期終了が近づくなかで僕はこんなふうに考えはじめていた。

 日本のために何かをしたい。

 それは僕にとってごく普通の感情だった。

(注1)マレーシアの第4代首相マハティール氏が、1981年から推進した政策。「イースト(東)=日本、韓国(後に中国も加わる)から学べ」をモットーに、欧米依存から脱したアジア独自の発展を目指すもの。