医学博士号を取得後、私は医局人事でSセンター肝臓外科の一員となり、ガン手術と臨床研究の日々を送っていた。肝臓は食事をした栄養分や体内に入った毒素の処理を行い、エネルギーの貯蔵と凝固因子や創傷治癒因子などを作る、いわゆる体の製造工場である。すなわち、肝臓が働かなければ人間は生命を維持できない。だから、肝臓にメスを入れ、肝臓を大きく傷つけると働かなくなり、命を落とすこともある。

 一方、肝臓はスポンジのように血液を蓄える血管だらけの臓器で、肝切除は出血との戦いとなる。

 ある肝ガンの研究会で「肝ガンで肝切除をしようと開腹したが肝臓の表面に“ガン”が見えていたので、肝臓を切るためのマイクロ波メスの電極をそのまま“ガン”に刺しこみ、マイクロ波を照射した。すると、切除したのと同様、手術後のレントゲン写真で“ガン”がきれいに消えていた」という発表を私は聞いた。私はこの治療は簡単で出血がなく、画期的な治療だと感激した。

 その発表を聞いた1年後、私は肝臓外科専門医としてT病院の消化器外科に異動を命ぜられた。当時、肝ガン治療は新たな医療分野として開花期にあり、外科医は肝切除、内科医はアルコールを“ガン”に注入、放射線科医は血管カテーテル手術で“ガン”の動脈を詰める治療を開発し、治療成績を競っていた。

 また、日本が世界に先駆け、さまざまな治療法を開発した時期でもあった。Sセンターも日本の最先端治療を行っていた。だからT病院勤務はある意味、格下の病院への異動ともいえた。しかし一方で、私は肝臓外科未開の地で仕事ができることに対して期待も抱いていた。

 赴任先で私は切除しきれない転移性肝ガンを前に、あのマイクロ波で“ガンを熱凝固する治療法を思い出した。転移性肝ガンに対するマイクロ波熱凝固療法の始まりであった。当時は“ガン”にマイクロ波を1分間照射しても、1回では数ミリメートルしかマイクロ波は届かず、肝の表面以外は“焼け”なかった。どうすればもっと“焼く”ことができるか頭から離れなかった。

ある日のこと。

 「上ミノ、バラ、カルビそれぞれ1キロとタン500グラム、それと…」

 と見渡し、目に留まった大きなレバー。

 「レバー4キロください。かたまりで」

 と思わず注文する私。
 
「レバー4キロですか」

 と肉屋の店員さん。

 「小さく切らないでできるだけかたまりでね」

 と覗き込みながら答える私。

 友人家族をたくさん招いた焼肉パーティーの買い出しであった。翌日、私は冷蔵庫の大きなレバーを病院へ持って行き、マイクロ波の実験を術場看護師長に申し出た。