これまで4回の連載で紹介した、実力発揮をじゃまする「妨害者」とこれに対抗する「賢者」、そして妨害者を弱め賢者を強化するPQ運動といった手法はどのようにして生まれたのか。妨害者に苦しめられていた著者自身の体験を語ってもらおう。

成功と同時に心の平安と幸福を得るには?

「必要は発明の母」と言われるが、ポジティブ・インテリジェンスという考え方が生まれるきっかけもまさにそれだった。そもそも私がこの考え方を思いついたのは、大いなる成功を得ると同時に人生における心の平安と幸福を得たかったからだ。ポジティブ・インテリジェンスのツールやテクニックは、すべて私自身が自分のために試行錯誤してきたもので、それが他人にとっても有益だと気づいたのはずっとあとのことである。

 私の子ども時代は厳しいものだった。貧しい家に生まれ、逆境に育った感受性の強い子どもだった。生まれてすぐ父親の経営する食料品店が開店そうそう破綻し、父は姿をくらまし、私たち家族は高利貸に追われることになった。迷信を信じる一家は父の商売が失敗した原因は私にあると考えたが、今さら捨て子にするわけにもいかず、せめて名前を変えようということになった。以来、シャザドという本名で呼ばれることはなかった。

 この出来事はその後の私の運命を象徴している。物理的にも精神的にも満たされることのなかった私は、うつうつとして自分の殻に閉じこもった。自分自身にも世間にも反発と怒りを抱えこんだまま、私は大人になった。

 私は高い志をもっていた。そして成長すると自分を憐れんだり、怒ったり、不安にかられたりするのはやめて、ひとかどの人間になれるよう努力しようと思った。最初に目指したのは内なる心の働きを研究することだった。大学の心理学専攻を優秀な成績で卒業し、大学院で神経生理学を1年間学んだものの、思うような答えは得られなかった。その時点で、それ以上自分の問いをつきつめていくのはあきらめた。そして多くの人がそうしているように、仕事で成功をつかむことに幸福を見出そうとした。

 その後の4年間はアイビー・リーグの名門大学で電子工学の修士課程に在籍するかたわら、通信関連の大手研究機関でシステム・エンジニアとして働いた。熱心に勉強し、優秀な成績をおさめたが、それでも幸福にはなれなかった。そこで経営修士号(MBA)をとれば幸福が手に入るのではないかと考えた。