現代における多くのイノベーションは、技術進化そのものではなく、まったく異なる発想から創出されている。iPhoneやiPadが出現したとき、多くの技術者は「何も新しい技術はない。自分でも作れる」と豪語した。しかし、多くの技術者は、生活者を感動させ、一大市場を開拓したiPhoneやiPadを創造できなかったのである。その背後にある理由は、まさに技術者発想から抜け出せないでいることにある。東京理科大学専門職大学院の教授陣が現代の喫緊のテーマを解説する「Lecture Theater2014」の第2回目は、MOT(技術経営専攻)の徳重桃子教授が、技術者のためのマーケティング発想の身につけ方を伝授する。

レモネードの販売実験が教える
「ベネフィット」という発想の重要さ

 「技術者のための、技術者発想を断ち切るマーケティング」と、大上段なタイトルをつけてしまいましたが、まずは「レモネード」の話から始めましょう。

 レモン果汁に蜂蜜や砂糖を加えて冷水で割った、古めかしい喫茶店の定番メニューの、あのレモネードです。アメリカでレモネードと言えば、子どもたちが小遣い稼ぎのために道ばたのスタンドで売る、夏の思い出が詰まった飲み物です。

 アメリカ・カリフォルニア州の郊外で6歳の双子がレモネードを売る実験が行われました。異なるキャッチコピーが書かれた看板を、10分おきに取り替えながら売り、どの看板を見てレモネードを買った人の満足度が高かったかを調べました。使ったキャッチコピーは次の3つ。
"Spend a little money and enjoy C&D's lemonade"
"Spend a little time and enjoy C&D's lemonade"
"Enjoy C&D's lemonade"

 C&Dは双子のイニシャルで、提供されるレモネードはいずれも同じです。

徳重桃子(とくしげ・ももこ) 上智大学文学部哲学科卒業。コンサルティング会社勤務を経て、平成8年SRIインターナショナル入社。平成14年より、ストラテジック・ビジネス・インサイツ(旧SRIコンサルティング・ビジネス・インテリジェンス)のディレクターとなる。平成16年東京理科大大学院MOT助教授として就任し、平成18年より現職。商品開発、ブランド力診断などのマーケティング戦略策定やシナリオプランニングによる事業戦略関連のプロジェクトに携わる。また、生活者価値観を理解する基軸Japan-VALSプロジェクトもリード。食品、家電、通信機器、医薬品、車、住宅等の分野でのプロジェクト経験が豊富。

 結果、最も満足の高かったのは「time」の看板を見て購入した人たちでした。逆に、最も満足度が低かったのは「money」の看板を見て購入した人たち。プレーンな表記の満足度はその中間で、つまりお金のことを言うくらいならば、何も言わない方がよかったのです。

 この実験を行った研究者たちは他にもたくさんの実験を行い、「時間」を想起させる表現が、「お金」を想起させる表現よりも商品購入の可能性を高め、高い満足度を引き出すことを明らかにしました。人は「時間」概念に触発されると、自分と対象物との個人的な関係、つまり、その商品やサービスを通じて得られる経験や感情に意識が向くという訳です。

 レモネードならば、天気の良い屋外でレモネードを飲む気持ちよさや、過去のレモネードにまつわる思い出などが湧いてくる。こうした意識下で飲むレモネードは、「お金」で刺激されて経済合理性を検討して飲むレモネードと比べるとひと味も二味も違う。美味しいと感じるのです。ちなみに、この法則にも例外があり、所有自体に意味がある商品や極端な物質至上主義者がターゲットの場合は、お金を想起させるキーワードを選択すべきであると言います。

 ちなみに、このレモネードの実験を行ったのは、ウォートンのキャシー・マギルナー教授と、スタンフォードのジェニファー・アーカー教授。ジェニファーは、ブランド研究の大家、デイビッド・アーカーの娘で、実験に協力した6歳の双子は、彼女の息子たちでした。

 レモネードの話から想起されるのは、「ベネフィット」という考え方の重要性です。同じレモネードを飲んでも人によって満足度が異なるのは、期待しているものすなわちベネフィットが異なるからです。人は経済合理性だけを考えて商品を購入したり評価したりするのではなく、合理的な思考では割り切れない心理的満足も求めています。そして意外にも、ベネフィットを探す潜在的な力があるのは、解決手段の近くにいる技術者たちなのですが、マーケティングの教育を受けていないために技術者たちは「技術者発想」から抜け切れていないのが現状です。

「技術者発想」を断ち切り、ベネフィットに立脚した商品開発をどのように行うのがよいのか。そのためにはまず、ベネフィットとは何か、どのように発想すべきか、そのための具体的な方策を次に考えてみましょう。