「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、日本料理は世界の料理としてさらに広く認知されることになるだろう。今、そんな日本料理を世界へ伝えていく方法を、日本料理の最前線で模索しているのが京料理・懐石料理の老舗料亭「菊乃井」主人、村田吉弘だ。京都だけの「労働特区」の設置や、教育制度の見直しなどの改革を推進している。
松久信幸による新著『お客さんの笑顔が、僕のすべて!――世界でもっとも有名な日本人オーナーシェフ、NOBUの情熱と哲学』の発売を機に、世界の最前線で日本料理を革新してきた松久信幸と、日本料理の「これから」を考え抜いてきた村田吉弘が語り合った。(取材・構成:森旭彦)

世界とコミュニケーションする日本料理、
ノブスタイル

村田 ノブさんに初めてお会いしたのはロスの「Matsuhisa」の頃でしたね。ノブスタイルの刺身を目の当たりにした時のことは今でも鮮明に記憶に焼き付いています。生の魚を食べないロスの人たちに刺身を出すために、なんと高温の油を掛けていたんですから。

松久 「ニュースタイル・サシミ」のことですね。このメニューは、とある女性客に、新鮮な平目の薄造りを食べていただけなかったことから生まれました。当時のロスの感覚では、「なまもの=なまぐさい」というイメージが強く、彼女は皿を見るなり「生魚は食べられないの」と返してきました。僕は「どうしようかな」と考えながらその皿を持ってキッチンをウロウロしていました。

 その時、火にかけっぱなしのフライパンが目に入ったのです。中のオリーブオイルは熱々に加熱されていて、煙が出始めていました。「火を止めなきゃ」と近づいた時、ふとペルーにいた頃に食べた中華料理を思い出したのです。それは蒸した魚に油をかけて食べる料理。香ばしい匂いが記憶の中の味覚を呼び起こしました。そしてその時、僕の手にはもう熱々のオリーブオイルが入ったフライパンが握られていました。

世界のシェフが学びに来る「和食」:「NOBU」「Matsuhisa」オーナーシェフ 松久 信幸 × 菊乃井 主人 村田 吉弘 対談<前篇><br />村田吉弘(むらた・よしひろ)
京料理店「菊乃井」三代目主人。
1951年、京都・祇園の老舗料亭「菊乃井」二代目の長男として生まれる。立命館大学在学中、フランス料理修行のため渡仏。大学卒業後、名古屋の料亭「加茂免」で修業を積む。1976年実家に戻り、「菊乃井 木屋町店」を開店。93年菊の井代表取締役に就任。現在は本店「菊乃井」、木屋町「露庵 菊乃井」、東京の「赤坂 菊乃井」の主人を務めるほか、東京の高島屋・東急両百貨店にショップを出店、さらに数多くの料理店のプロデュースも手がけている。2009年、「菊乃井」が「ミシュランガイド京都・大阪2010」で三ツ星を獲得。2012年、「現代の名工」「京都府産業功労者」、13年「京都府文化功労賞」を受賞。NPO法人日本料理アカデミー理事長。

村田 「これだ」と目が覚めるような体験でしたね。本質は崩さずに、食べる相手のために、本当の意味で「料理」をする姿勢がそこにはありました。

松久 彼女が油で表面だけ火の通った平目を一切れ食べ、二切れ目に箸をつけた時、ほっとしたことを覚えています。僕たち日本料理人は新鮮な魚を見分ける目と、生魚を美味しく仕込み、調理する技術を持っている。なまぐさくないことは食べていただければ分かるはずなんです。しかし、「なまもの」であることがそれを不可能にしていた。そこで高温の油で表面だけを調理し「100%なまではない」という形をとることで、日本料理人の生魚の扱い方を、なまものが苦手な人にも届けられたのです。

村田 僕たち日本料理人は「こうでなくてはならない」という固定観念で料理に向き合いがちですが、料理は食べる人に喜んでいただかないと何にもならないわけです。どれだけ自分・自国の価値観で「美味しいもの」だったとしても、他の価値観や文化の下では同じように受け取られないことがある。それを食べやすくすることが、理(り)を料(はか)り定める、すなわち料理の本質だということになる。

松久 やっぱり、お客様は楽しみにして来られる。しかもいろんな国からです。楽しんでいただくためには、こちらも「これを食べてもらおう」だけではなく、コミュニケーションをしながら、いろんなアイデアを得てつくりあげていくということが大切だと思っています。