稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
今回、『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)発刊を記念し、1976年に起業時の経験を語った貴重な講演録を、全5回に分けて掲載する。第3回は、アメリカで「日本人としての壁」と赤字に苦しんだ試練のエピソードをお送りする。

「敗戦国の人間に叱られるなど耐えられない」

 それからはたいへんな苦労がありました。アメリカ人とはプライベートで長くつき合っており、彼らは非常に気さくでいい人たちだと思っていましたので、仕事でもうまくいくだろうと、楽観的に考えていました。しかし、今までと違う人種の人間がオーナーになり、社長としてアメリカ人を使うことになると、これまで気にも留めていなかったような問題が起こってきたのです。

稲盛和夫が語る「企業家精神」【第3回】<br />――対立、赤字、いじめ。苦悶の日々1960年代、アメリカ出張時の写真(左端が稲盛和夫氏)

極端な例では、話をしている中で、第二次世界大戦のことが問題になります。仕事をしていく上では、なあなあで済ませるわけにはいきませんから、技術や生産、販売の問題など、しっかり決めなければならないことがあります。

 そこで私が厳しく叱ったときに、沖縄戦で負傷したときの弾の痕がまだ残っている社員が、「戦勝国の白人が敗戦国の黄色人種に徹底的に叱られるなど、耐えられない。もう会社をやめてやる」と言ってきたこともあります。楽観的に考えていたことが人種問題にまで広がるとわかり、たいへんな苦労をしました。

 また、私の古くからの友人であるアメリカ人を工場に迎えて、幹部として工場の運営を任せていました。最初のうちは私に対する信頼や尊敬も少しはありましたので、うまくいくように見えましたが、しばらくすると、ことあるごとに意見の対立が生じました。

 私が何かを言うと、「そのやり方は日本では通用しますが、日本とアメリカは風土・気候・文化・教育などあらゆるものが違います。ですから、アメリカの方法で経営するべきです。あなたのように日本の方法を強制したのでは、アメリカではうまくいきません」というように、必ずと言っていいほど、日本式とアメリカ式に関する意見の対立がありました。