日本テレビ、ソニーを経て、LINE(株)CEOを退任後、動画メディア「C CHANNEL」を立ち上げた森川亮さんと、集英社を飛び出してフリーとして「新しい働き方」を追求する安藤美冬さんの対談が実現した。おふたりの共通点は、20代のころに「このままでいいのか……?」とモヤモヤ悩み続けたこと。どのように、その思いにケリをつけ、自分らしい生き方を手に入れたのか?お二人の著作『シンプルに考える』(森川亮、ダイヤモンド社)、『冒険に出よう』(安藤美冬、ディスカバー21)をもとに、語り合っていただいた。(構成:田中裕子)

ひたすらモヤモヤ悩んだ20代。
だからこそ、いまの自分がいる

安藤美冬さん(以下、安藤)『シンプルに考える』を読んで驚いたのですが、森川さんは新卒で入社した日本テレビ時代、3回も辞表を出されたそうですね。

森川亮さん(以下、森川) そうなんです。番組制作に関わりたくて入社したのに、システム部門に配属されたんです。しかも財務システム。完全な「裏方」です。「なぜ、自分だけ……」と落ち込みました。ただ、当時の上司が「3年経ったら異動させてくれる」というので、コンピュータについて本格的に学んで3年間ものすごくがんばった。それなのに、3年経っても異動にならないから1回目の辞表を出したら、「もう3年だけがんばれ」と言われて……。

安藤 きっと、その部署で必要な戦力になってしまったんですね。【森川亮×安藤美冬 特別対談】(上)<br />「このままでいい?」20代のモヤモヤが自分を作る

【森川亮×安藤美冬 特別対談】(上)<br />「このままでいい?」20代のモヤモヤが自分を作る1967年生まれ。筑波大学卒業後、日本テレビ放送網に入社。コンピュータシステム部門に配属され、多数の新規事業立ち上げに携わる。2000年にソニー入社。ブロードバンド事業を展開するジョイントベンチャーを成功に導く。03年にハンゲーム・ジャパン(株)(現LINE(株))入社。07年に同社の代表取締役社長に就任。15年3月にLINE(株)代表取締役社長を退任し、顧問に就任。同年4月、動画メディアを運営するC Channel(株)を設立、代表取締役に就任。著書に『シンプルに考える』(ダイヤモンド社)がある。

森川 仕事には真剣に取り組んでいましたからね。ところが、その「もう3年」が過ぎても一向に異動にならない。それで2回目の辞表を出したんです。当時、日テレを辞める人なんてほとんどいませんでしたから、ちょっとした騒ぎになりまして……。退職直前に、偉い人に呼ばれて「どうせ辞めるんだったら、キミがやりたいことをやってみなさい」と、僕のためにインターネット・ビジネスの部署をつくってくれたんです。素直に嬉しかったですね。

安藤 それはすごいですね! 20代の若手のために新しい部署をつくるなんて、聞いたことがありません。会社にとっても、必要な人材だったということなんでしょうね。それにしても、20代の6年間は長いですよね。成果を出しているのに、いつまでも異動させてもらえない。そんな状況の中でがんばれたのは、なぜなのでしょう?

森川 「いつかやりたい仕事ができるはず」と信じていたからでしょうか。でも、やっぱりやるせなかったですよ。日テレに勤めていれば、待遇はいいし、知名度も高い。生活にも、遊ぶにも困らない。それでも、モヤモヤ感が消えなかったんですよね。だって、がんばって、成果を出して、認められて、「やりたいこと」をやってこそ仕事であり、人生じゃないですか。それなのに、いつまで経ってもやりたいことがやれない。それどころか、がんばればがんばるほど、やりたいことから遠ざかるわけですから。

安藤 うーん、それはつらいですね。

森川 だから、20代のころは、ひたすら「仕事って何だ?」「人生って何だ?」といった自問自答を繰り返していましたよ。

安藤 答えは見つかりましたか?

森川 はい。結局、モヤモヤの原因は、自分の中で「自分にとっての幸せ」が定義づけされていないことだったんです。それまでの自分は、世間で「良い」と言われていることを少しずつつまみ食いながら生きてきてしまったから……。

安藤 でも、ほとんどの人が世間で「良い」と言われていることに従って生きているでしょう?

森川 そうかもしれません。だけど、それは「僕」にとっての幸せではなかったんですね。だから僕は、いったん自分をリセットすることにしました。日テレを退職することにしたんです。

安藤 でも、会社は森川さんのためにインターネット・ビジネスの部署までつくりました。それは、森川さんがやりたいことだったのでは?

森川 もちろん、そう思って全力で働きました。だけど、日テレはあくまでテレビの会社。しかも、当時は業績も絶好調。インターネット事業は、彼らにとっては“邪魔”でしかなかったんだと思います。だから、何か新しいことをやろうとすると社内の壁が立ちはだかる。やりたいことを思いっきりやれる環境ではなかったんです。

安藤 なるほど。とはいえ、当時、森川さんは33歳。決して若くはありません。ご家族もいらっしゃったわけですから、厚遇される会社に残る選択もあったのでは?

森川『シンプルに考える』にも書いたのですが、「死ぬときに後悔するのは嫌だ」という思いのほうが、ずっと強かったんですよね。

安藤 それなら、いっそ外に出てしまったほうが早いだろう、と?

森川 そうですね。それに、新しいことをするとき、どうしても上の人にお伺いを立てないといけないじゃないですか。年配の人と若い人の感性は、当然違います。違いがあれば偉い人、つまり年配の人の意見が通りやすくなるのは組織の常。だったら、そういう文化がないところにいったほうが、自分は思う存分仕事ができるのではないかと考えました。

安藤 すごいなあ。それで、日本テレビからソニー、LINEの前身であるハンゲーム・ジャパンへと、それぞれ年収を半分にしながらも転職されたわけですね。しかも、ハンゲーム・ジャパンは当時、社員約30人の赤字会社だったそうですね。これは、覚悟がなければできないと思います。森川さんの、その「新しいことをしよう」と思う原動力はいったい何なのでしょう?

森川 「新しいこと」を追求しているときが、自分がいちばん楽しいときだからです。もちろん、新しいことはうまくいかないことが多いですから、苦しいときもあります。だけど、それも含めて、新しいことに挑戦しているのが、僕にとっての幸せなんです。いつも同じことばかり繰り返して、自分がいてもいなくても変わらないことを延々とやり続けるのは、耐えられない。僕にとっては、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長し続けるような生き方が理想なんです。