『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。
壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が増刷を重ね、第6刷となった。
本連載シリーズ記事も累計250万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破し、大きな話題となっている。
このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者と、女優の木内みどり氏が初対談!
木内みどり氏は、原発問題に関して、各種市民集会の司会を務めている。
8月11日の川内原発再稼働後、豪雨による鬼怒川決壊、東京で震度5弱、阿蘇山噴火、南米チリ沖マグニチュード8.3地震による津波余波など、日本列島を襲う自然災害が続出している。
これを受け開催された、10月23日の広瀬隆氏の緊急特別講演会も大盛況だったという。
本誌でも、これまで計28回に分けて、安倍晋三政権および各電力会社社長の固有名詞をあげて徹底追及してきた。
だが、なぜ再稼働をするのか? いまだ明確な説明がなされていない。
地震や自然災害が多発する中、注目の対談1回目をお届けする。
(構成:橋本淳司)

夫の県知事選の手伝いで
気づいたこと

避難中の11歳男子が<br />「アベ政治を許さない」と<br />デモに参加した姿に涙!<br />――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】 広瀬 隆
(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。

広瀬 木内さんが原発反対だということを、僕は、フクシマ原発事故が起きるまで知りませんでした。

木内 私は事故後に反原発になりました。原発の真実や事故の影響について知るうちに、「こんなものはあってはいけない」と、遅まきながら気づいたのです。

広瀬 ご主人の水野誠一さんが静岡県知事選に出られたとき、浜岡原発停止を訴えていたことは知っていたのですが、水野さんと木内さんが、僕の頭の中では結びついていませんでした。

木内 14年前、水野が静岡県知事選に出たときに、候補者の妻として暑い暑いひと夏、朝から晩まで一緒に走りました。

 あのとき、どこへ行っても水野が「浜岡原発を止めたい」と言うのです。すると、聞いている人たちが「厄介な話を始めたな……」とシラケて、引かれてしまうことに気がつきました。

 当時の私は、原発についてまったく理解していませんでしたから、
「ねぇ、原発の話はやめましょうよ。みんなシラケるでしょう」
 なんて言うほど無知でした。

広瀬 事故が起きるまで、多くの人が原発は安全だと思っていましたから。

避難中の11歳男子が<br />「アベ政治を許さない」と<br />デモに参加した姿に涙!<br />――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】木内みどり
(Midori Kiuchi)
女優。1965年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(1967/日本テレビ)、「安ベエの海」(1969/TBS)、「いちばん星」(1977 /NHK)、「看護婦日記」(1983/TBS)など多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(1971/森谷司郎監督)、『死の棘』(1990/小栗康平監督)、『大病人』(1993/伊丹十三監督)、『陽だまりの彼女』(2014/三木孝浩監督)、『0.5ミリ』(2014/安藤桃子監督)など話題 作に出演。コミカルなキャラクターから重厚感あふれる役柄まで幅広く演じている。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動中。Web Magazine:「木内みどりの発熱中!」

木内 じつは、水野の父が浜岡に原発を誘致した人なのです。
 当時の多くの人たちと同じように「原子力 明るい未来のエネルギー」と考えていたのでしょう。

 しかし、チェルノブイリで原発事故が起きました。水野は驚いていろいろ勉強しまして、「父が生きていたら絶対に止めたいに違いない」と思い、原発に反対するようになりました。

広瀬 今では、木内さんが反原発集会や安保反対集会の司会をしてくださったり、鹿児島市内で、誰もいないところで、一人でビラを撒いてくださっている姿を見て、この人は本物だなと思いました

木内 以前は国会議員に何か言ったりするなんて考えられなかったし、怖かった。自分はただの一市民で、国会議員さんなんて2つも3つも上のステージ上にいる人という感覚があったんです。
 でも、 少しずつわかっていきました。
 自分の思うことを自分のできる範囲で動けばいいんだって。人生は一度きりで終わりがある。
 だから、自分らしいやり方でこれからも行動していきたい
と思っています。