リビングダイニングキッチン(LDK)に夫婦の寝室、子どもの個室が付いて、3LDKか4LDKのマイホームが形づくられる。そんな住まいの常識が、最近少しずつ変わりつつあるという。変化の理由と、住まいの行方を、千葉大学大学院の小林秀樹教授に聞いた。

戦後生まれの「nLDK」
問題は住宅の“閉鎖化”

小林秀樹 (こばやし・ひでき)
1977年、東京大学工学部建築学科卒業。和設計事務所勤務を経て、85年、東京大学大学院博士課程修了。87年より建設省建築研究所に入所、住宅計画研究室長等を歴任。2002年、千葉大学工学部都市環境システム学科助教授、04年より同教授、07年より同大学大学院工学研究科教授。

 日本の住まいが「nLDK」という単位で語られるようになったきっかけは昭和30年代。深刻な住宅不足を解消するため、日本住宅公団(現都市再生機構)が誕生。食べる場所と寝る場所を分ける「食寝分離」を図って、戦後の住まいの原点となるシンプルな2DKの集合住宅を開発した。

 こうして生まれたダイニングキッチン(DK)は、団地の普及、その後のマンションブームに乗って、全国に広まった。専有面積も広がっていく中で、戸建てもDKにリビングが付いてLDKとなり、個室数も確保され「n(個室数)LDK」が定型となっていった。

「日本人のもともとの住まいは、ふすまで間仕切りをして、縁側で外部とつながる開放的なものでした。ところが戦後、サラリーマン家庭が増え、家族の内側だけ見つめた家造りが主流になってきたのです。nLDK定着と並行して住宅が閉鎖化していった。この“閉じた空間”という点が、やがて問題視されるようになってきます」(千葉大学大学院・小林秀樹教授、以下同)