「700個のケーキ」を「800人の避難民」に届ける方法を考える

「都内初の民間校長」としても注目を浴びてきた「ミスターリクルート」藤原和博さんと、「博報堂・BCGで培ってきた思考法・発想法」が話題の津田久資さんによる対談(第2回)。

お互いの最新刊『本を読む人だけが手にするもの』(藤原さん)、『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか—論理思考のシンプルな本質』(津田さん)をあらかじめお2人に読んできていただいたところ、議論はかなりの盛り上がりを見せた。

「リクルートがなければ、東大からBCGに入社していたかも…」と語る藤原さんは『あの人はなぜ、東大卒…』をどう読んだのか? 「学ぶ」と「考える」の問題について考えてきた津田さんは『本を読む人だけが…』をどう読んだのか?

全3回にわたってお送りする連載の第2回!!
(構成 高関 進/撮影 宇佐見利明/聞き手 藤田 悠)

▼大反響!! 前回の記事はこちら▼
【第1回】藤原和博 × 津田久資「思考・読書」対談!!
本当の頭のよさは「健全な腹黒さ」と「遊び」から生まれる
「この本が売れたら、まだ日本も捨てたもんじゃないと思ったね」(藤原)

 

「考え始め」のきっかけは前職にアリ!?

――藤原さんの『本を読む人だけが手にするもの』でも、津田さんの『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』でも、「もともとは自分も正解主義の人間だった」という主旨のことを書かれていますよね。

お2人とも東京大学をご卒業なわけですが、場合によっては、典型的な「ジグソーパズル型人材(考えない人材)」になりかねなかったということだと思うんです。

そこからシフトできたのはなぜなんでしょうか? やっぱり藤原さんはリクルート、津田さんは博報堂・BCGでの体験がきっかけになっていますか?

「700個のケーキ」を「800人の避難民」に届ける方法を考える藤原和博(ふじはら かずひろ)教育改革実践家/杉並区立和田中学校・元校長/元リクルート社フェロー
1955年東京生まれ。自ら創設した「よのなか科」を普及させることで、社会にはびこる「正解主義・前例主義・事なかれ主義」をぶっ壊し、停滞する日本を変えようとする改革者。
78年、東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。東京営業統括部長などを歴任後、93年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。
2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として、杉並区立和田中学校の校長を務める。08〜11年、橋下徹大阪府知事の特別顧問。14年から武雄市、15年から奈良市アドバイザーに。
著書に『本を読む人だけが手にするもの』『35歳の教科書』『坂の上の坂』『必ず食える1%の人になる方法』など多数。

【藤原和博(以下、藤原)】僕の場合、そもそも小学校のころに1日中遊んでいた、というのがベースにあるんですよ。
父が公務員だったので、公務員住宅に住んでいて、アパートとアパートの間には公園が必ずあった。ベランダからのぞいて誰かが遊んでいると、すぐ降りて行って公園で一緒に遊び始める。その子たちが帰っても、また別の友だちが入れ代わり立ち代わり「波状攻撃」でやってくる。でも、僕だけはずっと公園に「常駐」してたんです(笑)。
父も母も色白なんですけど、僕がいまでも黒いのはそのときに焼けたのが地についてるから(笑)。とにかくそれくらいよく遊んでいました。

だけど一方で、僕は戦後日本が生んだ典型的な中産階級の一人っ子で、「いい子にしなさい」っていう教育をされて、正解主義でずっと育ったんですよ。

【津田久資(以下、津田)】当時は教育の風潮として、それが「常識」でしたからね。

【藤原】そうそう。ところが、大学卒業後に入ったリクルートという会社が、まず正解を当てただけではすまないところだった。これが1つめ。

2つめはやっぱり海外に出たのが大きいですね。津田さんもそうだと思うんだけど、僕の場合はすごく遅くて37歳だから、ビジネススクールに留学ではなく、客員研究員としてだった。

【津田】ああ、なるほど。

【藤原】パリに行きたかったんで、まずは英語に慣れようと思っていたら、榊原清則(さかきばらきよのり)先生っていう元一橋大の先生がロンドンに呼んでくれたんです。そのときに一家で正解主義の日本から逃げて、一度海外で成熟社会を見れたのがすごく大きかった。

3つめは、47歳から始めた教育改革。杉並区の和田中学校の校長をやったのがすごく大きい。この3つが僕の「考える力」を鍛えてくれましたね。