古今東西の学者、詩人、作家が大量の読書論を書いている。どの本にも1つか2つ、自分にとって有益な読書の技術が書いてあるので、目に留まれば読むようにしている。しかし、おおむね自邸の書斎で読書しているセンセイ方が多く、書斎なんぞ夢のまた夢の存在でしかない凡人にとっては「どこで読むか」が最大の問題となる(文中敬称略)。

「馬上、枕上、厠上」で発想が生まれる

 本は読みたいけれど「時間がない、書斎がない」というみなさん。帰宅時間を1時間ほど遅くして時間をつくろう。書斎がなければ外で読もう。

 書を読み、よい発想の浮かぶ三つの場所を「三上(さんじょう)」という。これは古代中国の名文家、「唐宋八大家」の一人、欧陽修(おうよう・しゅう、1007-1072)の言葉だ(「修」を「脩」と表記する場合もある)。

 欧陽修の名前は、私は高校の「漢文」の教科書で知っていた。「漢文」が得意だったわけではなく、高校生だった1972年に台湾の女性歌手、欧陽菲菲(おうやん・ふぃふぃ)の「雨の御堂筋」が大ヒットしたからである。彼女は本名であり、教科書に引用されている1000年前の漢詩の作者と同姓だったので強く覚えていたのだ。

 欧陽修が「三上」について書いていることを教えてくれたのは、経済思想史家として有名な水田洋(1919-)で、『読書術』(講談社現代新書、1982)に書いている。その後、外山滋比古(1923-)もロングセラーの『思考の整理学』(筑摩書房1983、ちくま文庫1986)の中で紹介している。

「三上」とは、「馬上、枕上、厠上」のことだ。「馬上」とは移動中の乗り物である。「枕上(ちんじょう)」は寝床、「厠上(しじょう)」はトイレの中だ。欧陽修は「三上」を思考の場所、文章を練る場所として書いているそうだが、これを読書の場所として置き換えたのが水田洋である。

「枕上」で読書する人は多い。ただ、紙の本を読むには姿勢がやっかいで、これは稿を改めて紹介する。「厠上」で読書する人もけっこう多いと思われるが、私は不得意で、さっさと出てきてしまう。それに、同居人がいる場合は迷惑だろう。

 こうして「馬上」の読書が残る。これは私が日々実行している方法でもある。ただし、混雑している朝の通勤電車では無理だ。効率的な読書を進めるとしたら、帰りの電車の中である。その際、遠回りしなくてはならない。読書には時間が必要で、通常より1時間は多く時間をつくりたい。そのためには帰りの経路を変えて時間をひねり出すことだ。