稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「中小零細企業が大企業へ発展するための道筋」について語った貴重な講演録を掲載する。

世界に名だたる大企業のスタートは、
「単品生産」

 盛和塾には、従業員数人でやっている中小零細企業の経営者から、何千人も雇用している大企業の経営者まで、非常に多岐にわたる方がいらっしゃいます。そこで今日は事業の原点に関わる、企業がプリミティブな事業から始まり、大企業へと成長していくプロセスについて話をします。

御社が中小零細から抜け出せない理由稲盛和夫(いなもり・かずお) 稲盛和夫(いなもり・かずお) 1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年に日本航空会長に就任し、代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。また、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『生き方』(サンマーク出版)、『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)、『働き方』(三笠書房)、『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』

 この前から、京セラが発展してきた歴史を振り返っていて、京都には立派に発展を遂げている企業が多いことに気がつきました。五月三一日付の朝日新聞にも、京セラ、村田製作所、ロームをとり上げて「好調支える『一芸戦略』」という記事が掲載されていました。京セラ、村田製作所、ロームの利益率は、一部上場企業の平均を大幅に上回ることをとり上げた特集でしたが、日本経済新聞でも同じようなことが書かれています。

 また、アメリカの雑誌が出している、The Global 1000 というランキングにも、京都企業が多く顔を出しています。経常利益率のランキングで全世界の上位二八番目までに日系企業が五社入っており、そのうちの四社が京都企業で、もう一社はファナックでした。全世界の上場企業の中で、高収益企業の上位二八位までに京都企業が四社も名を連ねるとは、とても信じられないことです。

 どうして京都企業がそのようになったのか、この前からつらつら考えていました。すると共通点があることに気がつきました。

 例えばロームは、各種半導体を生産しているすばらしい企業です。創業者の佐藤研一郎さんは、立命館大学に在学中に、炭素皮膜抵抗器という電子部品では最も簡単な抵抗を考案し、特許を出願しました。大学卒業後は会社に勤めることなく、そのままロームを創業します。

 一方、村田製作所は、戦前は清水焼のお茶碗などをつくっていた零細企業でした。ところが戦時中に電子機器が発達し始め、その中に使うセラミックコンデンサの需要が非常に大きくなりました。そうしてある電機メーカーから、清水焼をつくっていた村田製作所の社長に声がかかります。それが村田製作所の始まりなのです。結局戦時中はものになりませんでしたが、戦後エレクトロニクス産業が勃興する中で、躍進を遂げていきました。

 そのように京都企業の歴史を見ていくと、京セラの場合もそうですが、面白いことに創業した社長はみな素人なのです。最初から立派な技術をもっていたわけでなく、たった一つの製品をつくることができただけでした。つまり、京都企業の創業者はみな、単品生産からスタートした素人なのです。