第45回
シュンペーターと“知恵袋”ゾマリーの国際金融をめぐる議論
坪井賢一
シュンペーターは、旧友ゾマリーと為替レートの維持を巡って議論を繰り広げた。財務相を辞任した後も交流は続き、ゾマリーは国際金融に関する“知恵…
2009.6.24
「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。
第45回
坪井賢一
シュンペーターは、旧友ゾマリーと為替レートの維持を巡って議論を繰り広げた。財務相を辞任した後も交流は続き、ゾマリーは国際金融に関する“知恵…
2009.6.24
第44回
坪井賢一
通説では、「アルプス鉱山会社事件」の責任を負わされた“被害者”のシュンペーター。しかし彼の弁明をみる限り、事件を主導したコーラ=フィアット…
2009.6.10
第43回
坪井賢一
シュンペーターが財務相辞任に追い込まれた原因とされているアルプス鉱山会社事件。だが、実際はバウアーたちにはめられたという説もあり、真相は謎…
2009.5.27
第42回
坪井賢一
独で社会化をすすめたシュンペーターは、墺でも社会化政策を任せられる。しかし、期待に反して社会化にブレーキをかける政策を主張し、バウアーはそ…
2009.5.13
第41回
坪井賢一
オーストラリア共和国の財務相と外務相にそれぞれ就任したシュンペーターとバウアー。彼らは就任後すぐに対立を始め、わずか数ヵ月で辞任することに…
2009.5.1
第40回
坪井賢一
シュンペーターは、オーストラリア共和国財務大臣に就任する。推したのは大学の旧友バウアーだった。彼は鋭い洞察力の持ち主であり、大学時にはドイ…
2009.4.15
第39回
坪井賢一
産業の国有化を議論するため、1918年に発足したドイツ社会化委員会。その委員にシュンペーターを引っ張り込んだのは、ウィーン大学のゼミ生仲間…
2009.4.2
第38回
坪井賢一
敗戦によりドイツ、オーストリア帝国は崩壊。シュンペーターは、ドイツ仮政府のもと作られた「社会化委員会」の委員に就任した。企業者と金融資本家…
2009.3.18
第37回
坪井賢一
ソニーCEOのストリンガー氏が1月8日の講演で、ソニーの成長に必要な7つのイノベーションについて語っている。家電産業が直面する課題をもとに…
2009.3.4
第36回
坪井賢一
多くの犠牲者を出したロシア革命に対して「満足している」と表明し、ウェーバーを激怒させたシュンペーター。一方、著書では「ロシア革命は失敗する…
2009.2.18
第35回
坪井賢一
シュンペーターの学友・ゾマリー回想録によると、ある時彼らはウィーンのカフェで社会主義の是非をめぐり、激しい議論になったという。シュンペータ…
2009.2.4
第34回
坪井賢一
第一次大戦下、オーストリアとドイツの帝政崩壊まで、確実に秒読み段階へ入った1918年。シュンペーターは『租税国家の危機』を出版。本書の中で…
2009.1.21
第33回
坪井賢一
第1次大戦下、シュンペーターは11本の論文を発表している。それを読んでみると、複雑な世相を反映してか、矛盾だらけでなんとも腑に落ちないとこ…
2009.1.7
第32回
坪井賢一
1913/14年冬学期から1914年夏学期まで、シュンペーターはアメリカのコロンビア大学に招聘され、交換教授として滞在した。初めてのアメリ…
2008.12.24
第31回
坪井賢一
前回紹介したジョン・ローのことを「12世紀の商事企業家」とシュンペーターは書いている。12世紀のヴェネツィアに企業家がいたのだろうか。海洋…
2008.12.10
第30回
坪井賢一
ジョン・ローは世界史上初期となる18世紀の金融バブル崩壊の犯人と言われた人物。しかしシュンペーターは、金融システムに革新的なイノベーション…
2008.11.26
第29回
坪井賢一
イノベーションの担い手である企業者について、シュンペーターは、英雄的「個人」ではなく、経済主体の「機能」のことを指している。シュンペーター…
2008.11.12
第28回
坪井賢一
このシュンペーターの代表作は、彼の経済観から理論的枠組みまで、のちの著書の主題まで含んだもので、本書だけ読めばシュンペーターの経済学の概要…
2008.10.29
第27回
坪井賢一
1911年の12月、ベーム=バヴェルク氏の推薦により、シュンペーターはグラーツ大学に正教授として迎えられる。そして翌年の1912年、ついに…
2008.10.15
第26回
坪井賢一
シュンペーターの同僚達は、アラビアン・ナイト物語の一篇かともまごうばかりの彼の教室外での活躍綺譚の数々を聞いて喜んでいた。シュンペーターは…
2008.10.1