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梶井厚志 コトバの戦略的思考

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「牛の鼻ぐり」

 九州地方に伝わる昔話に、「吉五」あるいは「吉よむ」という名前の知恵者が登場するものがいくつもある。「牛の鼻ぐり」は、そのような話の一つだ。牛の鼻ぐりとは、牛の鼻につける輪のことである。

 吉五は、毎日畑の草を刈りながら、山向こうの城下町に行く村人を見かけると、町に行くなら牛の鼻ぐりを買って来てほしいと頼んだ。頼まれた人は町中の荒物屋を探すのだが、牛の鼻ぐりはまったく見つからない。それで町に行った人たちは、一軒一軒尋ねて回ったが、牛の鼻ぐりは一つもなかったと、申し訳なさそうに吉五に告げるのであった。

 城下町の荒物屋たちは、毎日のように鼻ぐりを求めてやってくる人がいるのに、品物がないばかりに儲け損ね、歯がゆい思いをしていた。どうにかして鼻ぐりを仕入れねばと思案していたころ、鼻ぐりをいっぱいに入れた車を牛に引かせた商人がひょっこりとやってきたものだから、荒物屋たちは商人を呼びとめて、争うように鼻ぐりを買った。

 ところが、商人が行ってしまった後には、誰も鼻ぐりを買いに来なくなってしまった。町の荒物屋たちは、大量に仕入れた鼻ぐりを、その後も長らくもてあますことになった。鼻ぐり売りの商人とは、吉五だったそうな(*1)。

*1:『一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎:日本の昔ばなし(Ⅲ)』(関敬吾編、岩波文庫、一九五七年)所収の「牛の鼻ぐり」に脚色した。

作戦のよりどころ

 吉五の巧妙な作戦に、荒物屋たちが見事にだまされたという話だが、荒物屋たちはどこで誤りを犯したのだろうか。

 吉五がとった作戦の要点は、あとで持っていく鼻ぐりを仕入れさせるために、鼻ぐりへの需要が非常に大きいと前もって荒物屋たちに錯覚させておくところにある。村人たちに、鼻ぐりを求めて町を歩かせたのは、もちろんそのためである。

 だが単に歩かせるだけで、期待された効果があがるとは限らない。もしも、頼んだ村人がたやすく鼻ぐりを買って戻ってきたとしたら、吉五は必要もない鼻ぐりをいくつも買わされる羽目になり、鼻ぐりを売って儲けるどころか、自分で鼻ぐりを抱えて困ったはずだ。してみると、吉五は町の荒物屋には鼻ぐりの在庫がないことを、村人に頼む以前に自分で調査して知っていたはずである。おそらく吉五は、自分でたやすく作ることのできる牛の鼻ぐりの在庫が、町では枯渇していることを見出したがゆえに、この作戦を考え出したのであろう。

 このように考えると、荒物屋たちの不幸は、需要を見誤ったということ以前に、鼻ぐりの在庫がなかったところから始まっていることがわかる。

荒物屋たちはどこで間違えたのか

 しかるに、荒物屋たちが鼻ぐりの在庫を持っていなかったことで、彼らが経済学的に誤ったことをしていたとは言えない。在庫を抱えることは、それだけ費用がかかるからである。

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著者プロフィール

梶井厚志
(京都大学経済研究所教授)

1963年広島県生まれ。86年一橋大学経済学部卒業、91年ハーバード大学Ph.D.(経済学博士号)取得。専攻は経済理論、特に情報の経済学、一般均衡理論、ゲーム理論。ペンシルバニア大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授、大阪大学社会経済研究所教授を経て、2003年より現職。 著書に『ミクロ経済学:戦略的アプローチ』『戦略的思考の技術』『故事成語でわかる経済学のキーワード』などがある。梶井厚志のホームページ

この連載について

身近な言葉の中にも戦略的思考の可能性が潜んでいる。本連載では、身近な言葉や格言・昔話から、そこに潜む経済学的なアイディアや戦略的な含意を探る。

『コトバの戦略的思考』が単行本化!

なぜ私たちは「どうも」「お疲れさま」「よろしくお願いします」を、これほど使ってしまうのか?身近にあふれる妙に気になる日本語たち。そこには、必ず何らかの戦略が込められている!気鋭の経済学者がゲーム理論を駆使して読み解く、目からウロコのエコノミック・エッセイ。

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