「本業だけなら、まだがんばれたのに……」。そんな声が聞こえてきそうな老舗町工場の倒産だった。日本の贈り物文化の一つである“のし紙”。慶事などのギフトに欠かせない製品を、戦前から90年以上作り続けた富士印刷(東京都墨田区)が3月、負債5億円を抱えて破産した。時流の変化や得意先の百貨店業界の不振、コロナ禍の影響などさまざまな要因はあるが、破綻の最後の引き金は「社会保険料・税金の滞納」だった。(帝国データバンク 情報統括部 情報編集課長 内藤 修)

大手百貨店向けの
「のし紙」などで成長

富士印刷本社富士印刷本社(帝国データバンク撮影)

「いらっしゃいませ。何かご用でしたら、4階の事務所にどうぞ」――。

 3月上旬。富士印刷が事業を停止したとの情報を得て現地を訪れた際、擦れ違った従業員からかけられた言葉だ。受け答えも、表情も感じが良い。筆者はこれまで3000社以上の倒産企業を取材してきたが、現場のほとんどは殺伐としたものばかりだった。

 それに比べて、今回の現場は180度違った。応対してくれた役員も「すでに破産に向けた残務整理中です。いろいろとご迷惑をおかけしました」と、招かれざる客である倒産記者の突然の訪問にも、あくまで腰が低い。従業員教育が行き届き、雰囲気の良い会社だったのだろう。

 富士印刷は、戦前の1933年創業の法人を分社化してスタートした。百貨店の贈答用のし紙の印刷を主力として、包装紙や伝票のほか、企業向けにカタログやチラシ、パンフレットやポスターなど多様な印刷を手がけた。きめ細かなサービスで特注品にも対応し、得意先の多くは古くからの常連先が名を連ねた。前身企業から承継した大手百貨店との取引が堅調だった2003年8月期には年売上高9億5000万円を上げた。

 中でも、主力の得意先は日本を代表する大手百貨店グループ2社だった。百貨店が「小売りの王様」だった昭和の時代、どの百貨店か一目で分かる包装紙にはステータスがあった。中元や歳暮、慶事の際には百貨店で買い物し、のし紙をかける文化が定着していた。富士印刷もそうした文化に支えられ、売り上げを維持した。